1. 日本での生活の始まり
「日本に来ることは私にとって長年の夢でした…しかし、抱いていた夢や期待は日本についた瞬間に壊れてしまいました。」
2012年10月9日、クリストファーは日本での新しい生活に期待を寄せながら、来日しました。当時彼は日本に対してポジティブな印象を抱いており、先進国での生活を心待ちにしていました。しかし、到着して間も無く出会った同じカメルーン出身の数名から、日本人は冷たく、すぐ外国人に責任を押し付けたりするなどという話を聞き、恐怖心を抱いてしまいます。実際にこのような体験をすることがなくても、日本に初めて来た外国人の多くは、信頼できる情報へのアクセスが乏しかったり日本に長く住む外国人から実際とは異なる話を聞いたりすることで、誤った情報を信じ恐怖心を抱えながら生活を送ることは少なくありません。クリストファーも例外ではなく、迫害から逃れるため母国を去ったにもかかわらず、日本で再び恐怖心を抱きながら生活を始めることになります。このように多くの難民は、日本の不十分な支援サービスや言語の壁により、適切な情報や信頼できる人へのアクセスが乏しいという課題に直面しています。この課題は、彼らが日本で孤立してしまう原因となっており、そのほか多くの問題を引き起こしています。
しかしどれだけ日本での生活が困難であっても、母国への帰還は彼らだけでなく彼らの家族にも危険が及ぶ可能性があるため、決して選択できません。カメルーンに家族がいるクリストファーにとって、日本に来るという決断は簡単なものではありませんでした。しかし、彼は自分がいることで家族が迫害の標的になる可能性が高いと感じ、そのリスクを回避するため、母国を去ることを決めました。クリストファー同様、日本にいる多くの難民申請者は自らの生活と、家族の安全のため、日本に留まるしか選択肢はありません。この現状から、国は難民の受け入れ体制を整え、難民の保護や平等な権利と機会を提供する義務を果たさなければならないのです。
2. 難民申請の問題
2.1. 日本の難民認定率
2019年、10,375名の外国人が難民認定申請を行い、僅か44名の申請が承認されました。この数字は、年間の認定率が僅か0.42%であることを意味します。毎年、日本の難民認定率が1%を満たすことはありません。上記グラフのように他の先進国と比較しても、日本の難民認定率の低さは明白です。各国の難民の申請者数や受け入れ状況は異なるため、単に認定率のみを比較し批判することはできませんが、日本の認定率が先進国の中でも驚くほどの低さだということに間違いはありません。
出入国在留管理庁は、日本の認定率が低い理由の1つとして、申請者の多くが自国での迫害の可能性を十分に証明できていないことを挙げています。拒否された申請者が提出した証拠は、法務省が考える「迫害」の定義に該当しないと判断されているのです。迫害とは、人の生命や身体の自由を脅かす可能性のある抑圧的な行為を意味します。1951年の「難民の地位に関する条約」では、難民は「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた」人々と定義されています。したがって、法務省は不認定者の申し立てで最も多いとする「知人、近隣住民、またはマフィア等とのトラブル」は認定理由にならないとしているのです。しかし、不認定者の中にもクリストファーのように、実際には人種、宗教、国籍、特定の社会集団に属するなどの理由で迫害を受ける恐れがある人が多くいます。日本の移民や難民政策に詳しい滝沢三郎氏は、日本の「迫害」の定義が狭いと述べています。日本の定義によると、母国での紛争から逃れた「紛争難民」と呼ばれる人々は、難民とはみなされません。これは、条約にある「難民」の定義が国によって異なる形で解釈されており、日本の厳格な定義が申請者たちの認定を妨げていることを示しているのです。
申請者の多くは自身の声に耳を傾けてもらえず、正確な審査がなされていないと主張しています。2021年2月現在、クリストファーの来日から8年の年月が経過しましたが、彼の申請は未だに認定されていません。彼は8年間のうちに2度の申請を行いました。この申請や書類の作成も、言語の壁がある申請者にとって容易なことではありません。出入国在留管理庁は、申請には平均半年の期間を要するとしています。これは申請者の国籍や書類の差し替え、再審理など状況によってばらつきは生じますが、クリストファーの場合は1度目の申請に約5年の期間を要しました。これは決して珍しいことではありません。実際、過半数の申請者たちは半年以上の月日をかけて申請結果を待ち、そのうちのほとんどが不認定と判断されています。(日本の難民認定制度について、詳しくはこちらをご参照ください。)
申請期間中は、彼らに対して強制送還(日本に滞在している外国人を強制的に日本から退去させること)の措置がなされることはありません。しかし、その間も彼らは日本で労働許可や国民保険を得ることはできないため、厳しい生活を送っています。特に新型コロナウイルスの感染拡大が懸念される今、申請者の多くは信頼できる情報源や十分な治療を受けるための収入がないため、感染への不安を抱えながら生活しています。申請が認められた場合には、日本に滞在することを許可され、日本国民同等の権利が与えられますが、拒否された場合には、7日以内に控訴、または再申請を行わなければ強制送還されてしまいます。クリストファーは、「申請者たちは常に強制送還の可能性を警告されている」と語ります。難民認定が承認されなければ不法移民とみなされ、収容所に長期間拘束される場合もあるのです。(入国者収容所について、詳しくはこちらをご参照ください。)
クリストファーは、長い年月を経てカメルーン政府による迫害を証明する書類を集めましたが、出入国在留管理庁によってその申請は拒否されました。これは日本の出入国在留管理庁の厳格さを露わにしています。そして、実際にどのように申請書類が審査されているのかについては不透明であり、疑問が残ります。認定率を見る限り、日本が受け入れる難民の数は明らかに少ないため、他国で申請を行なった方が難民として認定される可能性が高かったと後悔する人もいます。
2.2. 迫害の証明
申請者にとって母国での迫害を証明する書類を集めることは、自身や家族にも危険が及ぶ可能性があるため極めて困難です。また、多くの申請者は準備をする時間がないまま母国を去るため、証拠を用意することができないケースがほとんどです。クリストファーは、自身が難民であることを証明するためには、同僚が政府によって殺害されたという証拠を提示する必要がありました。しかし、彼は1週間のうちにカメルーンを去る必要があったため、短期間で家族以外の人の死亡診断書を入手することは不可能でした。そのため、彼はカメルーンの弁護士に依頼し、必要な書類を日本に送ってもらわなければならず、それには膨大な時間がかかりました。書類準備の過程からは、彼らの必死さや認定のためならどんな努力も惜しまないという切実さが感じられます。
しかし、クリストファーが準備した死亡診断書には、同僚を殺害した人物が明確に記載されておらず、証拠不十分と判断されてしまいます。彼は自身が経験した拷問や抑圧は明らかに政府によるものだったため、同僚の死も政府が関与していると訴え続けています。こうした難民の声は、社会的弱者であるため聞く耳を持たれず、準備期間が十分に取れない彼らにとって、迫害の証拠を集めることがいかに困難であるかがわかります。
クリストファーは、迫害の証明には膨大な量の書類を用意する必要があると述べています。彼自身は死亡診断書の他にも、労働組合で活動していたという証拠や使用していたソーシャルメディアのアカウントを提示し、真実を伝えていることを証明する必要がありました。
幸いクリストファーは、カメルーンにいる弁護士から書類を受け取ることができましたが、これは極めて珍しいケースです。多くの申請者は母国から書類を受け取ることができず、申請をすることさえできないという現状があります。
申請書類を集めることに成功したクリストファーですが、次の課題はそれらを提出するため日本語に翻訳することでした。申請書は英語など様々な言語に対応しているにもかかわらず、その他の資料は原則日本語の訳文を添付しなければなりません。クリストファーは、難民にとって「言語」が1番の壁だと語ってくれました。彼は、日本にいる弁護士や上智大学の難民支援を目的とした学生主体のボランティアサークル、SRSGから支援を受けることができましたが、申請者の多くは書類を正確に和訳できる人を探すことに大変苦労しています。
2.3. 不認定
2016年、クリストファーの最初の難民申請は拒否されました。しかし、彼は日本で申請を1度で認めてもらうことがいかに難しいことかを認識していたため、この結果に驚きませんでした。日本での生活を通して彼は初めて、難民認定率の低さや承認の厳しさなどを知ることになりました。クリストファーは、就労目的による認定を防止し偽装難民の在留を阻止するため日本が認定を厳しくしていることを理解しており、政府の対応を非難しているわけではありません。彼は「出入国在留管理庁は誰が偽装難民であり、誰が真の難民であるかを見極める必要がある」と述べています。その上で、彼自身はカメルーンに帰国することで明らかに迫害のリスクが生じるため、「偽装難民ではない」と強く訴えているのです。
1度目の認定拒否後、クリストファーは追加書類を提出し、再申請を行いました。日本とカメルーンの弁護士からサポートを受けながら行なった2度目の申請だったため、彼は次こそ認定されるはずだと信じていました。
「2018年5月、結果を知ったとき、本当に困惑しました。私は新しい場所を冒険する子どもではなく、自立した大人なのです。」
2018年、2度目の申請が拒否されたと知った際、クリストファーは困惑し失望したと言います。難民認定がなければ、彼らは常に誰かに頼って生活する必要があります。この状況をクリストファーは、子どもに戻ったような感覚だと表現しています。労働組合を結成し労働者の権利のため活動していた彼にとって、異国の地で子どものように扱われることは、心外であり望んでいたことでは決してありませんでした。しかし、出入国在留管理庁は申請拒否の理由を明確にしないため、申請者や弁護士が反証を挙げることは極めて困難となっています。どのような証拠が不足していたのかについて明確な説明さえあれば、書類を収集し、異議を申し立てることができるのです。クリストファーは自身の状況は深刻であり、真の難民を受け入れないことは人権の侵害だと強く主張しています。
「出入国在留管理庁から肯定的な答えは期待すべきではないです。」
2012年の来日以降、クリストファーは常に難民認定を受けられることを期待していました。しかし、彼の期待は毎度裏切られました。2度目の申請が拒否される前と後の彼の心境を比較すると、結果に絶望し認定を期待することができなくなっていることがわかります。彼は、日本には難民として比較的受け入れられやすい国籍とそうでない国籍があると話します。そして、日本ではカメルーンの状況理解が進んでいないため、それが申請拒否の原因になっていると考えています。
3. 人権の尊重
「出入国在留管理庁は、移民を働かせるだけです。6ヶ月のビザを与えるだけ与え、一生難民としては認めてくれないのです。」
クリストファーは、日本政府が申請者を難民として認めないことで、労働力のみ搾取していると主張しています。彼は何度か6ヶ月間の就労や滞在を目的とした「特定活動ビザ」を取得しました。特定活動ビザは、難民認定後に受け取る定住者としての在留資格とは違い、比較的簡単に取得することができます。しかし、申請者は6ヶ月毎に更新する必要があり、このビザがなければ日本での就労許可は得られません。クリストファーは、特定活動ビザを利用しいくつかの企業で働いた経験もあります。
クリストファーは、出入国在留管理庁の対応や審査の遅さ、特定活動ビザのみを通じて申請者を働かせていることに関して、申請者の人権を侵害していると主張しています。彼は、日本の労働力が不足していることを理解しつつも、難民として認定はせず、申請者に就労許可のみを与えている現状に対して、人手不足を埋めるために働かされている奴隷のようだと感じています。特定活動ビザを通じて就労許可を得ることはできますが、一般的に法務省で認められた職業のみという規定があり毎度更新できるか定かでないため、申請者は不安定な生活を送ることになります。また、難民申請の結果が確定すると、特定活動ビザへの申請はできなくなります。難民認定を受けると、永住を認められ国民年金や福祉手当などの受給資格も得られます。しかし、不認定となってしまった場合、特定活動ビザを再度取得するためには出入国在留管理庁にも再度の審査を申し立てる必要があり、二重の負担がかかることになります。
法務省は、偽装難民をなくすため申請を慎重に審査することの重要性を強調しています。しかしこれは、クリストファーのように母国への送還が、命の危険を意味する真の難民たちを不認定にする理由にはなりません。偽装難民と難民を区別することは重要であり、決して簡単なことではありません。しかし、迫害の危険を訴えている申請者に不認定の判断を下すことは、彼らの人権を侵害していることになります。また、日本には難民が公共の安全や社会に悪影響を及ぼすという誤解を抱いている人も多くいるため、こういった現状が彼らの受け入れをさらに厳しくしています。
4. 難民支援の現状
4.1. 弁護士
多くの申請者にとって日本で弁護士を探すことは、金銭面や人脈の狭さが課題となるため簡単ではありません。しかし、難民申請を円滑に進めるためには弁護士を見つけることが重要になります。不認定となった場合には申請者は異議を申し立て、この申し立ても退けられると裁判所で審査が行われることになるため、弁護士の有無がいかに重要であるかが分かります。
幸いにもクリストファーは知人を通して弁護士を見つけることができ、その弁護士は日本の父親のようだと語っています。
クリストファーは弁護士に多くの助けをもらい、お互いに信頼関係を築いてきたと話します。弁護士は、申請に必要な書類を集めることから証拠の提出に至るまで、手続きに関する支援を積極的に行なってきました。また、書類を日本語に翻訳する際にも力になってくれました。クリストファーにはカメルーンにいる弁護士からも、必要書類を日本に送ってもらうため、サポートを受けています。このように、弁護士がいることにより申請者は様々な法的支援を受けることができるため、弁護士がいることがいかに重要であるかがわかります。しかし、クリストファーのように全員が弁護士と繋がり、支援を受けることができるわけではありません。
4.2. 難民支援協会・RHQ支援センター
「私は難民支援協会に対して、誰かに頼って生きていきたくはないと伝えました。」
多くの申請者は申請手続き中に収入を得ることができないため、経済的支援を必要としています。クリストファーは知人に頼って生きていきたくはないと考え、難民支援協会(JAR)と話をしました。母国のカメルーンでは家庭をもち自立していたため、彼には日本でも自分の力で生きていきたいという思いが強くありました。難民支援協会には、申請に必要な身上書を書くためのサポートを受け、仮設住宅を提供してもらいました。その後、クリストファーはRHQ支援センターにて生活支援も受けました。RHQ支援センターは、難民申請者に対して、生活費、宿泊費、医療費などの経済的支援を提供しています。これらの支援はセンターによって経済的困難に直面していると判断された申請人のみに提供されています。クリストファーはこの2つの支援組織にはよくしてもらったと話しています。
4.3. 求められる支援の強化と変化
「日本は閉鎖的な環境です。そのような環境の中にいる外国人は最初から全員、日本には適合できない人として見られます。」
クリストファーは幸いにも複数の弁護士や組織から支援を受けることができましたが、彼はまだ難民認定を得ることができていません。この状況から、日本の社会と政府のさらなる変革が必要だということがわかります。クリストファーは、日本は閉鎖的な環境であり、人々はあまり外のことに関心を持っていないと話します。外国人が日本で直面する困難はまだ多く存在するため、日本人の意識もより協力的で寛容的になるように変えていくべきです。さらには、弁護士や支援組織へのアクセスの有無が申請結果に与える影響も大きいため、誰もが支援を受けることができるような体制を整えていく必要があります。クリストファーは、このような難民の支援は日本だけでなく、世界に広められるべきであり、より多くの人が難民申請者たちの存在を認識すべきだと話しています。
他の先進国に比べて極端に難民の受け入れが少なく国際社会の批判を浴びている日本ですが、批判を免れるためではなく、難民が生きやすい社会を築くためにより積極的な受け入れ態勢を整えるべきです。日本の審査過程は他国と比較しても不透明であり拒否理由も明確にされないため、誰が難民として認定されるか判断することは極めて難しい現状があります。これは、日本が未だ難民の受け入れ国としての役割を十分に果たせていないことを示しており、難民保護をより積極的に行っていくべきであることを証明しています。深刻な日本の難民問題が重要事項として取り上げられていない理由として、人々の問題に対する関心の薄さが挙げられます。したがって、今後社会的に取り組みを進めていくためには、難民の存在を認知し彼らの声に耳を傾けることが重要になってくるでしょう。出入国在留管理庁は、迫害の危険に直面している申請者たちが日本で安全に暮らせるよう、審査基準や過程を見直しより公正な制度を作っていくべきです。