効果的なスーツの使い方
日本は難民をあまり好ましく思わない傾向にあります。他国から逃げてきた貧しい人や、まともな教育を受けていない人としか見ていないことが多いのです。だからガブリエルを含め、日本に残りたいという難民は、毎日生きるのに必死です。難民が遭遇する問題のひとつに、外見から在留資格のない人間だと判断されてしまうということがあります。
そんな現実にもかかわらず、ガブリエルが「日本は自分の故郷だ」と思い続けているのは、長い滞在の中で築かれた多くの人との信頼関係があるからです。彼は日本社会に適応し、平和に暮らしたいと思っており、そのために日本人に少しでも近づけるような工夫を行なっています。例えば、外出時にスーツを着るということです。日本では、スーツは仕事やフォーマルな場で着られる正装だけでなく、その人の社会的地位を表すツールでもあります。

企業に正規雇用されることは日本における重要な社会的地位の1つですが、雇用されるためにはそれなりの知識を身につけていることが不可欠です。一般的にスーツを着ている人は、きちんとした仕事をしており専門的な組織に属している人と認識されます。日本では多くの人が日常的にスーツを着ているのです。
特に新宿や渋谷などオフィスや会社が多い場所では、スーツを着た人が何百人、何千人と街を歩いているのが見受けられます。スーツを着ていると学歴や職歴がある人と見られ、多くの日本人が難民に対して抱いているイメージと全く異なるのです。

スーツを着ている人のイメージと難民の人のイメージは結びつきにくいため、ガブリエルはスーツを着用することで、日本社会に溶け込み人目を気にすることなく生活することができているといいます。
多くの警察官は外国人を見ると身分を確認しようとすることが多く、ガブリエル自身も何度か呼び止められた事があるといいます。そういった時に彼は、日本のサラリーマンのようにスーツを着て、名刺を見せ、ちゃんとした仕事をしている外国人であることをアピールするそうです。医師(自然療法医)であることがわかると、警察官は質問をしなくなったといいます。スーツと名刺の相乗効果で、危険な人物ではないと認識されたのです。ガブリエルが高学歴でちゃんと会社に勤めている人だと思ったのかもしれません。スーツを着用することで、自分がちゃんとした地位にいると思わせることができたのです。
このようなガブリエルの努力は、日本で受け入れられたいという想いだけでなく、「見下されたくない」という想いからくるのだといいます。医者としての品格と、神と自分に対する強い信頼があるからこそ、日本に働きに来たのだと主張します。ガブリエルは日本で難民になりましたが、他の難民とは違い、ドイツにいた際に自然療法医としての教育をきちんと受けていました。しかし、今日本人が持つ難民のイメージから、ガブリエルは自分が標準未満の人間だと判断されてしまうことを恐れています。だから、スーツを着ることで社会に溶け込み、難民だと判断されないよう試みているのです。けれど、実際ガブリエルは今もまだ難民認定をもらえていません。難民として認められるには長い時間がかかることは十分承知していますが、その予測不可能な長い期間を支えてくれているのが、ユニークであってとても有効的であるスーツの着用です。難民であるガブリエルにとって、スーツを着るということは、日本で生きていくために非常に重要なことなのです。
地域の絆でやすらぎを
ガブリエルの物語を通して、私たちは、収容者たちが生き延びるためにあらゆる面で支え合っていることを知りました。仮放免の情報交換、金銭的な支援、精神的な支援、さらには所属する支援団体や組織の紹介など、様々な面でお互いに支え合っているのです。しかし、このようなオープンな支援団体は、彼らが生きていくために必要な量からすると決してまだ十分ではなく、彼らは地域社会にも助けを求めます。すると近所の人たちや教会などの宗教団体が、愛と共感をもって彼らを迎えてくれるのです。しかし、文化や背景、言葉も違う収容者たちが地域社会に帰属することは非常に難しいのが現実です。だからこそ、収容者たちが他の収容者を助けるという循環が構築されているのです。収容される前に何年も日本で生活した経験のあるガブリエルも、当初は何をすればいいのか分からなかったといいます。収容所の外から支援を受けるためには、ボランティア団体と教会のコミュニティに頼るしか選択肢がなかったのです。

外部のサポートが十分ではなかったため、彼は同じ状況にいる周りの収容者たちに支えられていました。
このような状況は、シングルマザーや外国人労働者、在日韓国人など、日本のマイノリティに属する多くの人が直面しているものと似ています。例えばシングルマザーの場合、周囲との交流時間が非常に限られているため、なかなか助けを求めることができず、支え合うのはお互いのことを理解し合える同じような境遇にある人です。もう一つの例は在日韓国人で、彼らは一定のコミュニティを形成しているように見えますが、様々な規制がありまだ保障されていない権利があるのが現状です。コミュニティへの帰属が難しく、社会や行政からも不当な扱いや差別を受けている人もいます。このように、同じような境遇や背景を持つ人たちに支援を求める傾向は、私たちの生活のさまざまな場面で見受けられるのです。
この考え方に共感しにくい方もいらっしゃるかもしれません。しかし、自分が最大限の支援を受けたいと切に願ったときにこういった判断を下すこともあるのです。最近の例だと、看護師が精神的なストレスや健康状態が限界に達した際、同じような境遇にある看護師と連絡を取り合い、自らを犠牲にしてでも経済的、体力的、精神的な支援を互いに行うということが挙げられます。精神疾患を持つ人も例外ではありません。同じような境遇にある人となら、悩みを打ち明けやすいのです。また、アルコール依存症患者の集まりで、自身の心配や悩み事を共有している人も見受けられます。

ガブリエルの人生は、個々の難民が経験すること、そしてその中で描かれる日本の文化的、社会的特徴についてより広い見方を与えてくれます。そしてそれは、学校やメディア、周囲の人たちからは決して学ぶことのできない人生の物語です。私たちにとって、社会で何が起きているのかを知り、より良い方向に変えていく方法を模索することが大切なのです。そのためには、ガブリエルのように、誰かの話を聞いたり、支援したり、手助けしたりすることの本当の意味を理解する必要があります。