
難民であるということ
〜ジェームズ・トバの目から見る「偽装難民」とは〜
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現在の日本社会には、難民のイメージを特に悪くする見方があります。それは、難民のほとんどは「偽物」であるという考え方です。
日本にいる難民に関する報道が過剰にも「偽装難民」に偏っていることが原因の一つと考えられています。一人一人の人間として難民の声を取り上げる報道は少なく、偏った統計を用いて作り上げたものも多く見受けられます。社会の一部が難民に対してあまり暖かい目で見ていないのも、このような背景の影響が考えられるのです。
「偽装難民」が多いと思われる理由の一つに、他のアジア諸国からの難民申請者が多く、一見それらの国には特に迫害につながるような政治的・社会的状況にあるわけではないとの認識があります。つまり、難民として来日するのには他の動機があるのではないかと疑われてしまうのです。
必ずしも政治的な事情によるものではなく、人種・宗教・国籍・特定の社会集団に属しているために、迫害を受け、母国に帰ることができないことなどから、難民となってしまう場合があることを理解する必要があります。
日本の難民事情や人口動態について、詳しくはこちらも併せてお読みください。

難民を「偽物」とみなすことは、難民に対する理解不足につながり、社会からの厳しい扱いを受けることになりかねません。このため、難民申請者や難民は常に差別を受けるリスクを抱えているのです。
難民に対する否定的な世論が、すでに厳しい日本の難民受け入れを悪化させる可能性があることもまた事実です。
このページでは、ジェームズが難民であるということは実際どういうことなのか、また彼の目から見る日本の「偽装難民」問題とは何か、意見を述べてくれます。
1951年難民条約の第1条で、難民とは「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義されています。 (UNHCR)
「難民とは、快適な場所から追い出されて、実際に苦悩の場所に置かれている人のことを言います」
ジェームズはこの定義が自分に当てはまると、揺るぎない自信を持って話してくれました。
日本で難民申請するまでの長旅を振り返ってみると、彼がここに来たのは選択ではなく、最終手段だったからです。数々の生死に関わる事件が彼を襲いながらも、神の恵みによって今日のジェームズがあるのです。彼が耐えてきたであろう苦しみ、そして難民申請者として耐え続けてきている苦難は今も続いています。
ジェームズにとっては毎日が生き残りをかけた戦いであり、それはここ日本でも変わりません。しかし、日本では差し迫った命への脅威はないことは分かっていると言います。生き残るための唯一の方法が、ここに残り故郷そして家族から離れて暮らす寂しさに耐えることなのです。
もしジェームズに本当に選択肢があったなら、彼はここにはいないでしょう。ジェームズは何度も家族と一緒に平和に過ごしていた家に帰りたいと話してくれました。
日本で難民として国から認められるまで、たくさんの壁がありますが、ジェームズは足かせとなっているものに「偽装難民」という考え方があると感じています。
「偽装難民に対する私の意見は、その考え方が多くのダメージを与えているということです。日本人の心に多くのダメージを与えています。そして、私たち本物の難民をも苦しめるのです。」
ジェームズはもし偽装難民に遭遇したら、胃の中から噛みつかれるような感覚を感じずにはいられないだろうと言います。自分の利益のために、ジェームズのような難民の物語をあたかも自分のもののように偽り利用しているとしたら、泥を塗られるようなものであり、悔しいものです。
そんな中でも、ジェームズは特に偽装難民に対して怒りは感じていないと話してくれました。彼らの状況にも「共感」または同情はしますが、本当に難民であることは何を意味するのか、その名前がもつ重さ、そして本当の難民が抱えている重荷をわかって欲しいと願っています。
「いや、私は…私は怒らない、怒らないけど、ただ、本当に難民であることの意味を彼らが知っているのかなと思ってしまいます。」
他にも、社会が難民を偽装と疑う理由に、難民になろうとする人々の動機が間違っている、国やNPOの脛をかじって楽な生活をしようとしているのではないのか、といった誤解が聞かれます。
カメルーンでは成功していたビジネスマンだったジェームズは、自分の稼ぎで生計を立てていたことに誇りを持っていました。そのため、支援団体に「助けられている」という考えは、深い感謝の心とともに不安も覚えるそうです。
「カメルーンでの私のクローゼットには、洋服がほとんど全て揃っていたんです。(今は)恥ずかしく感じます。」
「偽装難民」という言葉が普及してしまった結果、彼の物語には傷がつき、ジェームズは難民であるという事実を秘密にしておかなければならないかのように感じています。
教会で自己紹介をする際は、難民としての話は避けることがほとんどだそうです。他の人に助けを必要としている人として見られるのが耐えられないのです。
「一度(難民であると)話した途端、助けが必要な人だと認識され孤立してしまったんです。 難民であること…乞食のように見る人もいれば、本当に同情してくれる人もいますね。」
気づかないうちに、難民は「偽物」で「助けを必要としている」という考えが私たちに根付いているのかもしれません。このことを自覚し、こういった認識が実際の難民にどのような影響を与えているかを理解することが、この問題の解決策に繋がるでしょう。その上で、一人一人の難民の話に耳を傾け、見極める努力をすることが重要です。
難民ということだけで疑われてしまうこともある世界や社会の中で、難民として人の価値が他の人の価値と何ら変わらないことを十分に理解することが、この問題解決の鍵になるのではないでしょうか。