日本での生活

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1. 仕事

ナヘドは2018年4月24日に観光ビザで来日し、2週間後に「特定活動」ビザに変更しました。特定活動とは難民申請中の庇護希望者が在留資格を得るために与えられる資格で6ヵ月後に就労が許可される(注:2018年5月当時)のですが、ナヘドの貯金は日本での最初の2ヵ月で底をついてしまいました。

ナヘドの話から分かるように、日本は難民に対する効果的なサポートがないと批判されています。日本では難民認定申請者の約95パーセントが不認定となっており、ナヘドのように多くの難民が特定活動ビザの保持者として扱われています。申請には多くの書類と厳しい審査の面接が必要で、難民にとっては非常に困難なプロセスです。この間健康保険も住居もないため、身を守る術がないことも問題です。

「現実的になって!」

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ナヘドは難民支援本部(RHQ)に経済的支援を申請する必要がありました。月8万5千円の支給が認められましたが、これは家賃や食費など最低限の生活を維持するのに辛うじて足りるだけの額です。

ナヘドは、この経済的な支援制度は非現実的だと語ります。社会的交流をするには不十分な金額だからです。外に出かけたり、人に会ったりするための余分なお金がないため、彼女ができることは家に閉じこもっていることだけでした。さらに、支援を受け続けることがいかに困難であったかを語っています。彼女は何にいくら使ったか、1円単位で報告しなければなりませんでした。生きていくための経済的な支援には感謝しているものの、この制度では社会的な活動やコミュニティの一員になることはほとんど不可能なため、支援を受けるのを辞めようと決心したのです。

1.2. 日本での労働者としてのナヘド

ナヘドはRHQからの経済的支援を受けなくなった後、仕事があれば何でも直ちに働き始めました。日本での最初の仕事は埼玉の食肉工場で、難民を支援する最大の団体のひとつである難民支援協会(JAR)から紹介されたものでした。上司もほとんどの同僚も彼女を歓迎してくれて、国際色豊かなコミュニティだったので、新しい職場にも馴染みやすかったといいます。しかし、労働条件は非常に過酷でした。この仕事は肉体的に非常にきついため、通常は男性が担当していたのです。通勤時間が長いことも彼女を疲れさせる一因となりました。工場に行くのに2時間電車に乗り、それから8時間、非常に重い食品加工用の制服で肉を切り、パック詰めする仕事をしなければならなかったのです。

「毎日鶏肉の臭いがしてた。臭いを取るためにを4回も服を洗わなきゃいけなかったし、それが結構気がかりだったこともあったかな。あちこちから鶏肉の臭いがして、ちょっと嫌だったの。」

3週間働いた後お金を貯めることができたので、ナヘドは新しい仕事を探すことにしました。そこで警備員になるための訓練を1週間受けたのですが、その仕事は非常に不規則で支払いも不安定だったため、続けることを断念しました。その後、彼女はFacebookで自宅近くの埼玉の印刷工場の仕事を見つけることができました。彼女はその工場で初めての、そして唯一の外国人でしたが、同僚が彼女に対してとても尊敬の念を持って接してくれたので、仕事の経験は大変満足のいくものだったそうです。彼女の仕事は本を梱包することだったため、肉体的な負担はそれほど大きくなく、高度な日本語能力も必要なかったのです。

そこで働き始めて4カ月後、難民が知的労働の事務職に就ける機会は非常に少ないと考えて福岡にあるディスカバー・ディープ・ジャパン(DDJ)への転職を決意しました。DDJはデジタルマーケティングソリューションを提供することで地方のコミュニティやビジネスを改善することをミッションとしており、2019年に設立されました。そのうえで、これらの地域で働き貢献してくれる人としてより良い環境を提供することで、難民や移民を支援しています。

応募は非常に競争率が高く、3回の面接を経て75人中4人という競争を勝ち抜き、ナヘドは採用されました。彼女は仕事から得られる安定した収入に感謝していて、DDJが掲げる使命にも賛同しています。しかし、新型コロナウイルスの状況のため、現場での報告など彼女の仕事の中心となる多くの活動は制限されています。そのため、ナヘドは会社の一員として生産性を上げ、重要な仕事に貢献できていないように感じているのです。

「私にとって一番大切なのは、結果を出すためにベストを尽くしているという実感かな。それが働くことの喜びにつながるから。」

ナヘドは実直な仕事を避けることなく、責任感があり、尊敬に値する従業員であろうと努めてきました。規則を守り、時間を管理し、生産的に働くことを心がけているそうです。新しいスキルを身につけることが好きで働く機会を大切にしている彼女は、肉体労働の経験が自分にとって貴重なものであったことを認識しています。しかし、彼女がDDJの役員としての現在の仕事に魅力を感じたのは、ライター、ウェブデザイナー、多言語話者の能力を仕事に効果的に生かすことができたからなのです。

多くの難民が来日後に直面する計り知れない困難と比較すれば、ナヘドは日本における難民の成功例といえるでしょう。しかし、労働者としての彼女の現状を尋ねると、こんな答えが返ってきました。

「良いことだけど、対価も払ってる。」

仕事はお金を稼ぐためだけの手段ではありません。人と人を結びつけ、自分の夢を実現し、より大きな社会に貢献するための手段でもあります。つまり、仕事とは、人がさまざまな形で人生を豊かにするためにとても重要なものなのです。しかし、ナヘドの話が示すように、支援や機会が限られた日本の構造化された社会の中で、ワークライフバランスを保つことは難しいのです。困難に直面しながらも、多くの難民は充実した社会生活を送ろうと努力しています。彼らの努力に応え、その可能性や能力を発揮する機会をもっと増やすべきです。

生存戦略:スキルの習得

ナヘドの人生で変わらないものは、仕事で成功するために自分のスキルを磨くことに専念していることです。ジャーナリズムであれ、ウェブサイトのデザインであれ、工場での仕事であれ、ナヘドは自分の仕事を正確かつ効率的にこなすために、一貫して知識や技能を磨くことに取り組んできました。どこに行ってもプロとして成功できるという安心感を保つこと、また、どこにいても良い仕事をするという誇りと幸福感を培うことにもこの戦略は役立ったのです。
将来に仕事で役立つスキルの習得は、より強い自信につなげ自己啓発を続けるために自分自身でできることの一つであり、そのために時間を割くことがいかに大事かナヘドは話します。これは、母国でも海外でも、どうすればより良い人生を築けるかとナヘドに聞いてくる人々に彼女が与えるアドバイスです。
ナヘドは人生を通して全く予測不可能なことを経験し、どんなに努力しても完全にコントロールすることは不可能だと学んできました。しかし、彼女がコントロールできる数少ないもののひとつが、仕事における自分の技術レベルであることがわかったのです。自分の仕事に努力と敬意を払っていることを示すことは有益であり、個人として充実感を得るのに役立ちました。予測不可能なことは誰もが経験することだと強調し、成功を感じることで幸せを見出すよう彼女はアドバイスしています。 

1.3. 日本における難民としてのナヘド

「自分を難民だとは思わない。」

難民のイメージは貧しい、みじめ、無能、無学、暴力的といったネガティブなものとして、特にメディアを通じて語られることがよくあります。ナヘドを含む難民は否定的な固定観念によって作り出された先入観に苦しみ、難民であるために自分の尊厳が失われていると感じることもあるのです。

ナヘドは自分を難民ではなく外国人労働者だと考えています。なぜなら、政府や他の組織から支援を受けなくても、他の日本人と同じように日本社会に貢献していると考えているからです。また、多くの試練を乗り越えて自分のスキルや学びを達成するために多大な努力をしてきたにもかかわらず、自分の能力や仕事が日本人から過小評価されていることを経験しているため、自分が難民であることを明かしたくないそうです。確かに、彼女の功績と努力は、どのような法的地位であろうと評価されるべきです。

ナヘドは、彼女が直面したネガティブな経験のひとつを話してくれました。DDJのメンバーとして現地の日本人とミーティングをしていたとき、上司がナヘドを難民として紹介したそうです。そのときナヘドは、難民であることを聞いたあとどんなに否定的な態度に変わるのか気づいたのです。

彼女はすべての採用プロセスを通過するだけの能力が認められ、採用されました。自分の名刺を持ち、会社の重要なメンバーの一人として働いています。しかし、世間はまだ彼女を過小評価していて、難民であることに無力感を感じているのです。

ナヘドは、メディアの難民についての報道のしかたがネガティブな評判を生むと考えているそうです。メディアはさまざまな難民のストーリーを伝える能力がないと彼女は考えています。さらに、メディアは誰が難民なのか、どのようなストーリーを持っているのかについて、偏見と限られた知識しか持っていません。日本人は難民についてよく知らないまま、固定観念的な見方をしてしまうのです。このことは、ナヘドが苦しんでいることは個人的な問題ではなく、社会に原因のある問題であることを示しています。

2. コミュニティ

人は人を必要とします。人は他の人々と関係を築き、様々なコミュニティに所属することで人生をより良いものにするのです。しかし、多くの難民は母国でも受け入れ国でもよそものとみなされ、重要な人間関係を持つことに苦労しています。また、ナヘドの話を聞くことで、コミュニティ内で共有されている考えや価値観がそのコミュニティに参加しづらくさせてしまっていることがわかります。異なった人々を認めるために、私たちはもっと自由で柔らかい頭でいるべきだとナヘドは考えているそうです。人はありのままの自分を心地よく感じられる人と一緒にいるべきだという重要なメッセージをナヘドは送っているのです。

2.1. 2019年以前のコミュニティ

ナヘドはチュニジアの学校に通い、いくつかのチュニジアの企業で働き、2019年まで母国にいるときは常にチュニジア人主体のコミュニティにいました。しかし、彼女は宗教的な慣習を嫌っていたため、宗教的なコミュニティには入っていませんでした。大学に入学後LGBTQの仲間と出会ったり、インターネットを使って仲間と知り合ったりすることで、LGBTQコミュニティと関わるようになりました。

ナヘドは2017年に韓国で暮らしていた時は、ピザレストランで週5回12時間という過酷なシフトで働いていたため、コミュニティに参加することはできませんでした。

「他の人たちと話そうともしなかったし、仕事が忙しくて時間がなかった。昼間は寝ていたしね。その後いろいろな仕事をしてみたけど、2週間ですべて準備して日本に行った。だから、(他の人のことを)考える時間さえなかったかな。」

彼女は宗教的、政治的なコミュニティには参加しませんでした。LGBTQのコミュニティについてはネットで探そうとしたのですが、一人の韓国人女性を除いてはあまりうまくいきませんでした。韓国で生活するためには韓国企業で働く必要があったのですが、言葉の壁と韓国人労働者が外国人に対して抱く否定的な固定観念のせいで、ナヘドは部外者として扱われてしまったのです。  それでも、何人かの難民と知り合うことができたそうです。最初の数ヶ月は他の難民と部屋をシェアもしたのですが、彼らと大きな関係を築くことはできませんでした。しかし、あるチュニジア人男性とは友情を築くことができたと言います。

ナヘドは2018年4月に来日しました。一時的に街で知り合ったチュニジア人のコミュニティに参加したのですが、宗教的信条に従うことを強要されたため交流をやめたそうです。その後、在日のチュニジア政党を通しチュニジア人コミュニティを見つけ、時折重要なメンバーとして会合に出て政治活動に参加したのですが、活動に幻滅するようになると距離を置きました。政党がチュニジア人のためになるとは思えなくなったのです。彼女はさまざまなレズビアンバーを訪れ、チュニジアのコミュニティ以外にもLGBTQのコミュニティに参加しようと試みました。JARの支援を受けてから相談に乗ってもらったり日本語教室に参加したりと、難民コミュニティの一員でもありました。職場でも何人かの難民と知り合ったのですが、大きな関係には発展しませんでした。日本にいるとはいえ言葉の壁もあり、積極的に日本人コミュニティに関わることは難しく、日本人との交流は職場だけでした。

全体として、彼女は政治的、非宗教的、LGBTQとしてのアイデンティティを維持できるコミュニティを見つけるために多くの困難に直面しました。また、難民となった後は一日中働かなければならない厳しい職業環境に対処する必要があったため、社会的交流は制限されてしまいました。言葉の壁、文化の違い、否定的な固定観念の存在など、彼女の海外生活体験は全般的に困難なものでした。本音で生きるために難民になったにもかかわらず、難民であることが自分らしく生きるためのもうひとつの制約になってしまったのです。 

2.2. 2019年以降の福岡でのコミュニティと新型コロナウイルスの流行

「私には誰もいない。」

ナヘドが福岡に着いたのは2019年8月で、すでに新型コロナウイルスが流行している最中でした。幸いなことに経済的に苦労することはなく、政府や地元の団体、職場からの援助を得ることができたのですが、雇用動向や世界情勢の変化への恐れから、心の健康の問題を経験したそうですさらに、コロナ禍では社会的交流が制限されるため非常に孤独を感じていた上に、彼女が住んでいる場所は福岡の中でもかなり田舎であるため、人との会話も制限されてしまいました。他人との交流はナヘドにとって大事なものだったのです。

生存戦略:逆境に直面したときの決意

ナヘドは逆境を知らないわけではありません。迫害の経験のみならず、多くの人が共感できるような一般的な人生の問題を通して、生涯を通じて多くの困難に直面してきました。過去のトラウマを小さく分けて消化する強い心を保ちながら、現在の心の健康を改善するため自分を労わることに集中することが、ナヘドにとって、人生を効果的に前進させるための方法です。ナヘドが一般的には共感できないような極めて危険な、命の危険さえあるような経験をしてきたのは事実ですが、心の健康の問題は誰でも経験するものだと言います。

ナヘドにとって、日本への移住はすべてを包括する解決策ではありません。新しい国に行くことがすべての難民にとっての包括的な解決策ではないのです。過去のトラウマ、セルフケアの欠如、心の健康の低下は、置かれた環境に関係なく永続的な影響を及ぼします。新型コロナウイルスの流行とその結果生じた孤立は、ナヘドをより積極的に心の健康に気を配るという生存戦略の実行に繋がりました。このことから、生存戦略は迫害の時だけでなく、生涯を通じて役立つスキルとして通用することが分かります。

2.3. チュニジアのコミュニティ

「メリットよりもデメリットの方が多い。」

ナヘドは意図的に他のチュニジア人コミュニティに属することを避けています。2018年に埼玉にいたとき、チュニジア人男性に礼拝を強要された経験があるからです。

「(チュニジア人男性に)礼拝に行くことを強要されあことがあって。がっかりだった。それが3、4回続いて。」

ナヘドは、多くのチュニジア人が宗教を実践し、性別の役割に従うイスラム教徒であることを場所に関係なく求めていると考えています。自分らしさを否定されるような抑圧はもう経験したくないと言います。このことからナヘドは難民となり、母国をあとにしたのです。

「彼らが私の家族。」

けれど、ナヘドは日本に来る前に知り合った3人のチュニジア人の友人とは重要な関係を保っています。チュニジア人の旧友たちとの友情を家族のようだと表現しました。価値観も、仕事も、性的指向も、性別も、生活環境も、信仰する宗教も違うこのコミュニティは、特定のカテゴリーに基づくものではなく、むしろ家族のようなもっと根源的なものでつながっていることを示しています。ナヘドは、彼らがお互いを尊重し、一方的な判断をしないと言います。こうした態度が彼らが深い関係を持つことを可能にしているのです。

2.4. LGBTQコミュニティ

「女の子が好き。それだけ。」

ナヘドは福岡のLGBTQコミュニティに入りたくても、どこにも参加していません。レズビアンバーがあまりない上、日本のLGBTQコミュニティが排除され小規模であるため、LGBTQの人々と交流する機会があまりないのです。ナヘドは日本のLGBTQは隠れていると説明し、日本社会も多様な性的指向をあまりオープンには受け入れていないと指摘します。

ナヘドは、現在のLGBTQコミュニティや社会運動がトレンドやある種のおしゃれのようになっていると懸念しています。LGBTQコミュニティに属することはとても難しく、いまだにさまざまな深刻な問題を抱えていて、個人は多くの困難や固定観念に直面しています。この社会運動はLGBTQの人々の権利と生活にとって不可欠なものであるにもかかわらず、人々はその深刻さを軽く見ているのです。

さらにナヘドは、LGBTQコミュニティがストレート、トランスジェンダー、バイセクシュアルなど、それぞれの性的指向に名前や定義をつけることで、人々をカテゴリーに収めていると指摘します。彼女が思うに、人々が必要としているのは自分自身を定義するための名前ではなく、誰とでも出会い、重要な関係を築く権利と自由なのです。また、こう言ったカテゴリーはその人のあり方を制限してしまいます。他人はそのカテゴリーに特定の固定観念を抱きがちであり、他人の考えを自分の中に取り込んでしまうからです。

2.5. Japanese Community

「箱の中に収まる感じ。」

ナヘドは福岡の職場以外には日本人コミュニティに属していません。新型コロナウイルスが流行した時期に福岡に引っ越してきたため、日本に住んでいるにもかかわらず、日本人との交流は限られているのです。また、言葉の壁も彼女が日本人と重要な関係を築くことを制限してしまいます。  さらに、多くの日本人は外国人に対して差別的ではありませんが、排他的で違いや新しい変化をあまり受け入れない傾向があるため、深い人間関係を築くのは容易ではないと感じています。

ナヘドは、多くの日本人が同じような価値観や考えを持っていることを示すためにこの話をしました。そのようなルールの重要性を認める一方、考え、行動する自由を持つことの重要性も強調します。「枠にはまる」ことは、人の可能性やチャンスを狭めてしまうという考えているのです。

生存戦略:移動する権利の行使

移動は、難民であることを意味する本質的な要素です。難民は、迫害の厳しさゆえに死の危機に直面し、安全とより質の高い生活を得る権利を求めて新しい場所へ移動することを余儀なくされます。移動はナヘドの難民としての過去の経験を通じての主要なテーマであり、彼女にとって最も重要な生存戦略である移動する権利の行使と結びついているのです。

ナヘドの自立心と自分で物事を決める力を持つ大事さへの信念は、環境を変えようとする意志から見てとれます。このことは、自分らしく生きることを可能にするのは自分だけだという考えと責任感につながるのです。つまり、自分が成長できる場所を見つけ、人生の次のステップを踏み出すことは、自分の責任です。自分の環境に責任を持つというこの考え方もまた生存戦略であり、彼女は周囲の人たちにも行動を呼びかけています。

絶え間なく変化し、常に新たな挑戦がもたらされるこの世界では、人生のすべてをコントロールしようとするのは困難なことのように思えるかもしれません。ナヘドは、人がコントロールできる数少ないもののひとつは移動する権利だと強調します。どの国に生まれるかは選べませんが、そこに自分の居場所がないと感じたら、生活環境を変えることで本当の幸せや新たなチャンスを見つけることができるのです。この変化を経てナヘドは今、自由に自分らしく生きています。