迫害の物語

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迫害は難民の定義の基礎です。母国での迫害歴はその人が人種、宗教、国籍、社会集団により標的とされ、命の危険にさらされていたことを意味します。しかし、性的指向はこの定義から著しく欠落しています。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は性的指向を含むこの法的定義の解釈を示す文書を発表していますが、多くの場合、難民申請の一部としてこれを認めるかどうかについては受け入れ国が最終的な決定権を持っています。  レズビアンであり、イスラム教の慣習に従うことを拒否しているため長く迫害を経験してきたナヘドにとってこのことの影響は大きく、迫害はさまざまな形で現れてきました。

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ナヘドの迫害の定義

ナヘドは生涯を通じて、不寛容な人々から攻撃的な行為や明らかな暴力を定期的に経験してきました。その結果、他者との関係を築く能力が損なわれ、多くの場面で孤立するようになってしまったのです。この孤立感と恐怖感は、ナヘドが引っ越しを続け、居心地の良い場所を見つけようとする動機を理解する上で極めて重要です。

1. 青春時代からの違い

ナヘドは幼い頃から、他とは違う存在として見られていました。人形のような典型的な「女の子向け」のおもちゃには興味を示さず、その代わり、剣や運動用具など男の子向けとされるおもちゃを欲しがりました。母親が欲しがるようなドレスやフリフリの服も着たがらず、女の子らしくないものを集めては喜んでいたものの、他の女の子とは違うという理由で叱られもしたのです。

この体験はナヘドの人生における重要な基礎となる瞬間であり、彼女は自分があるべき姿とはどこか違っていて、そのために家族から叱責されるのだと教えられました。自分が望んでいることをオープンにすると周囲から否定的な反応が返ってきて、サポートがなくなることを学んでいます。自分が具体的にどう違うのかはまだわからなかったのですが、罰や意見によって、周囲から見て何か悪いことをしているということがはっきりしたのです。この教訓は、彼女が学校生活を送る上でも生かされました。

小学生になると多くの同級生が思春期を迎えて、異性への思いを募らせていました。  ナヘドはまだ特定の女の子に恋心を抱くことはなかったのですが、周りの男の子を恋愛対象として好きになることはありませんでした。彼女のことを好きな男の子もいたのですが、その子たちを拒絶すると、それが問題になったのです。

幼い頃からすでに、周囲はナヘドの外見やふるまいを快く思っていませんでした。男の子たちは彼女が自分に興味がないことを不快に思い、彼女を侮辱する手段に出ました。ナヘドの男子に対する興味は外見のことで非難されることが多かったため、このような経験から男子に対する不信感へと発展していきました。しかし、この特別な例は、ナヘドがいじめに抵抗し、怒鳴り返し、弱い立場で自分を守った初期の例のひとつでもあるのです。幼いながらに、自分を守る方法を見つけようとする彼女の粘り強さを示しています。

このいじめによってナヘドは孤立し、クラスメートと友だちになるのに苦労しました。14歳頃、ナヘドは自分がなぜ周りの女の子と違うと感じるのかがわかっていました。自分が女の子に恋愛感情を抱いていることに気づいたのです。

ナヘドが気づいたとき

ナヘドは自分のアイデンティティのこの側面をオープンにしていなかったと話しますが、周りはナヘドが女の子の行動や服装に対する期待にそぐわないという理由で彼女に嫌がらせをし続けました。彼女の家族はナヘドがレズビアンであることを知ると否定し、その現実を認めようとしませんでした。一方では攻撃的ないじめを受け、他方では否定の壁に直面したナヘドはメンタルヘルス支援サービスに頼ろうとしましたが、残念ながら彼女の学校には利用できるところがありませんでした。彼女は自分を閉ざして孤立といじめに耐えることを余儀なくされたのです。

2. チュニジアで若者として受けたハラスメント

チュニジアの大学でのナヘド

ナヘドが大人になっても、彼女の迫害や嫌がらせの経験は続いていました。学校でのいじめは路上、警察官、会社のマネージャーからの嫌がらせへと姿を変えました。これらのトラウマを語ることは彼女にとって難しいのですが、迫害体験の重要な一部であることは認識しているそうです。ただ道を歩いているだけで嫌がらせをされることもよくありました。ナヘドは、日常的な場面で彼女に浴びせられた暴言の加害者として、教育を受けていない若い男性を挙げます。彼らはナヘドの服装や外見からレズビアンだと決めつけ、言葉による嫌がらせをするのです。

若い男性による路上でのハラスメント

ナヘドが語るこれらのシナリオが示すのは、このハラスメントの一貫性です。これらの経験を特にトラウマ的なものにしている側面のひとつは、彼女が直面した多くの状況の重大さです。チュニジアでの生活でナヘドが遭遇した非常に恐ろしい状況は、市民を守るための警察との関係でした。

ナヘドが高校時代に耐えたいじめから状況は明らかにエスカレートしていました。人々を守るはずの警察が、彼女にとって危険な存在なのです。政府が大きな脅威となっているとき、市民として支援や保護を頼れるところはどこにもありません。ナヘドは今、あらゆる方面からの脅威に直面しています。

これは、チュニジアのLGBTQIA+メンバーの多くが共有している経験です。チュニジアはレズビアンであることを違法としているため、警察はこの方針を悪用し、レズビアンだと思われる人をわざわざ脅しにかかるのです。これはナヘドが他の女の子と危うい行為をしているところを捕まえたときに影響するだけでなく、他の状況で危険にさらされたときに保護を求める彼女の力を制限します。この特別な出来事は、ナヘドが若い大人として、特に女性として脅されていた暴力性を示しています。

警察官と揉め事になることは珍しいかもしれませんが、街を歩くだけで標的にされる可能性があるのなら、こうした経験が頻繁に起こる可能性が高くなるということが浮き彫りになります。また、単純な通勤や移動が予測不可能になるため、恐怖や不安が増大します。公共の場にいるだけでナヘドにとってはハラスメントを経験する契機になるのです。

ナヘドが路上で見知らぬ人々から標的にされた経験の根底にあるのは、彼女の外見、つまり服装やスタイルによるものであることは明らかです。自分の外見によってレズビアンの女性であると推測されていることが分かったといいます。

なぜ人々が彼女を標的にしたのかについてのこの考察は、彼女を傷つけようとする動機という観点から見たナヘドの考え方を示しています。興味深いのは、人々が観察結果や判断に基づいて、その人の特徴を決めつけることに関し、「概念の混合」について話していることです。箱に入れられるというこの概念は、ナヘドが闘いたいと願い、他人との経験談を用いて度々語る社会の規範のことを指しています。人はすぐに彼女を判断し、わずかな知識に基づいて彼女が誰であるかを決めつけるのです。

生存戦略:護身術の取得

生存戦略とは、難民が迫害の環境に置かれたのち、新しい国でよりよく滞在し、生計を立て、一般的により快適に過ごす方法を見つけるために用いる戦術を指す言葉としてよく使われます。難民のタイプによって、その戦略は異なります。例えば、難民キャンプで暮らす難民に必要な方法はより基本的なニーズに対処するものであり、それが満たされているより確立された難民は、社会的統合や雇用機会の改善のための戦略を持っているかもしれません。ナヘドの場合、彼女の戦略はチュニジアでのハラスメントの経験に由来し、女性としての安全を維持する必要性からきています。

チュニジアでのナヘドの迫害体験は、極めて高いレベルの差し迫った身体的脅威を日常的に経験していたことを確に物語っています。高校で彼女を狙った男子生徒から、路上での若者たちからの罵声、市民を守るはずの警察からの脅迫に至るまで、そこには常に恐怖と不安が存在していました。こうした脅威の多くは彼女の外見で即座に判断する不特定多数の人々から発生していたため、ナヘドは次の危険がどこからやってくるかわからず、その後、ほとんどすべての公共の場で厳戒態勢で行動しなければならなかったのです。

このように常に危険にさらされているため、状況がエスカレートした場合に物理的に身を守れるようにすることをナヘドは生存戦略のひとつとして何度も言及しています。
この護身術を学ぶというコンセプトは、ナヘドがチュニジアで生き延びるために使った戦略の重要なツールです。物理的に反撃できるようになることで、彼女は自分を守るだけでなく、ある程度の尊敬を得ることもできました。ナヘドは、チュニジアの若者たちがいかに理屈や沈黙ではなだめることができず、暴力しか知らなかったかについて言及しています。それゆえ、自分が脅かされるような相手ではないことを理解させるために、ある意味で彼らの言葉を学ばなければなりませんでした。ナヘドは、体力トレーニングは彼女にとって重要であると述べています。彼女の経験では自分の身を守るために必要なことであり、おそらく日常生活での自信にもつながったからです。  この戦略は彼女にとって重要ですが、肉体的暴力に関与することは状況をエスカレートさせる可能性があることにも注意しなければなりません。

日本への移住後常に危険と隣り合わせの状態は解消されたものの、この生存戦略は明らかに彼女の精神に深く刻み込まれています。それは、履物のような細部に至るまで、彼女の日々の行動に影響を及ぼしているのです。
Being Ready to Defend Yourself
どのような靴を履くかという決断は一般人にとっては些細なことに思えるかもしれませんが、危険な状況にある難民にとっては結果に大きく繋がります。チュニジアに比べれば日本は間違いなく安全ですが、それでも彼女は、どんな状況でも脅威は存在しうるという前提で行動しています。ナヘドのこの生存戦略は、迫害のトラウマが永続的な影響を及ぼすことを示す上で重要です。環境やコミュニティが変わっても、彼女の周囲に対する考え方は変わりません。 

3. 職場におけるハラスメント

多くの若者にとって、大人への移行は仕事を見つけることを意味します。多くの人は成功を望んでいますが、ナヘドは職場が必ずしも自分にとって安全でさえないことにすぐに気づていました。彼女は個人的に、自分のワーク・ライフ体験が上司の見方や態度に大きく左右されることを理解し始めた。彼らは彼女の従業員としてのステータスを管理し、仕事の流れやスケジュールをコントロールしていたため、チュニジアでの彼女の仕事の経験に対する権限を容易に握っていたのです。

ここで、ナヘドは新しい形のハラスメントを個人的に経験し始めました。職場でのハラスメントのひとつは、LGBTQIA+であることを公表したことに起因するものでした。

「うっかりしてた。」

チュニジアでの仕事ではナヘドはレズビアンであることを隠していましたが、いつしか彼女の秘密は職場に漏れてしまいました。その後彼女はこのために解雇されてしまい、安定さの欠如がよく分かります。仕事をクビになるということは、ちょっとしたつまずきから突然起こりうることなのです。そして、この状況でナヘドは仕事を失うだけでなく、仕事先から提供され、当時付き合っていた女性も住んでいた住居も去らなければなりませんでした。新たな収入を探したり、有害な職場環境から安全を求めたりするためにこのような秘密主義や突然の変化が起こることは、彼女にとって他人との関係を保つことが難しいことを意味しました。

もう一つのハラスメントは、信心深いマネージャーがナヘドの宗教的習慣の欠如に腹を立てたことに起因します。イスラム教徒が大多数を占める国では、ナヘドがラマダン(断食月)の間は食事をとらないという習慣を守ったり、礼拝に参加することを話したり、信仰に関する質問に積極的に答えることをナヘドに期待するマネージャーもいました。幼いころの経験から、彼女はすでに人に話す答えやオープンにする情報に気をつけることを学んでいました。宗教への熱意に関してマネージャーが求めている回答をしなかったとき、問題が生じ始めたのです。

ナヘドに宗教の信念がないことは、彼女のマネージャーにとって唯一の問題ではありませんでした。感化されて変われるということをナヘドが示そうとしなかったことでもあるのです。自分が何者であるか、自分の価値観は何であるかという確固たる自信は、ナヘドの行動を間違ったもの、不適切なものとみなす周囲の人々を怒らせ続けました。心の健康のために正々堂々と生きる必要があったからこそ、ナヘドは彼女の行動を変えようとする人々に反抗することができたのです。  このような意見を必ずしも公然と述べるわけではなかったのですが、尋ねられると敬意をもって自分の意見を述べることもありました。しかし、それを無礼と見なしたマネージャーは、自分の振る舞いの結果だと彼女を苦しめました。

重要な点は、ナヘドの過去を取り巻くこの絶え間ない不安定さと不安を改めて理解することです。仕事の状況さえ安定しないのであれば、経済的な状況、生活状況、そして快適な生活全般が疑問視されます。常に職を失う危険にさらされることは、迫害に直面している母国で暮らす多くの人々が直面する極度のストレスです。

4. チュニジアでの我慢の限界

迫害と嫌がらせを受け続けてきた中でナヘドが最も耐え難かったのは、家族からのサポートがなかったことです。幼い頃から家族は彼女が興味を持っていることをサポートしてくれず、周りの少女たちと同じになるように説得しようとしました。  さらに持ち物を取り上げたり、何週間も彼女を無視するなどの罰を与えました。このように、ナヘドがレズビアンであるという一面への深い否定から、彼らは家庭内でナヘドへのサポートを打ち切ったのです。

サポートの欠如はナヘドに深い影響を与えました。家の外で起こるハラスメントの嵐から身を守るための基盤がないと感じたからです。家庭でのサポートがあればチュニジアでの生活も生き延びることができたかもしれないとさえ彼女は言います。しかし、これは彼女の現実ではありませんでした。コントロールできるものではない自分のアイデンティティによりあらゆる方面からの迫害に対峙し、ナヘドは自分の将来のために何をすべきかを悟ったのです。

ナヘドの人生において、この時点で状況の深刻さは明らかに極限に達していました。彼女の選択肢は死か逃亡か。命の心配がなく堂々と生きられる場所を探すため、チュニジアから脱出することを選んだナヘド。新しい国への移住が彼女の次のステップでした。

迫害されている人はなぜ移動する必要があるのか

ナヘドはここで、激しい迫害の環境の中で自分を救うことは不可能だと説明します。しかし、移動してその場から逃れることで、自分らしく生きる権利を行使する手段を得ることができます。人権を尊重し、自分らしく生きることを許し、自分やおそらく母国に残っている人たちを助ける能力を与えてくれる国を見つけることができるのです。レズビアンであることが違法であり、非宗教的であることがタブーであったチュニジアをナヘドは去りました。彼女は新しい環境を求め、最終的に自分の命を救ってくれることを望んで日本にたどり着いたのです。

生存戦略:結婚

他の多くの女性と同様、ナヘドの過去の生存戦略のひとつは男性との結婚でした。結婚は多くの女性にとって生存戦略であり、身体的な保護、収入の増加、場合によっては個人的な支援など、多くの利点があるからです。これは、迫害や虐待に直面する多くの女性がまずとる反応です。ナヘドにとって結婚は、自分への支援の欠如に対する対処法であり、実家を出るための手助けでもありました。男性と結婚することで、ナヘドは自分のセクシュアリティにまつわるゴシップを食い止める方法を手に入れ、チュニジアで修士号を取得するための移動手段や支援をしてくれる人を得て、全面的に実家から逃れることができました。
Marriage as an Escape
ナヘドにとって結婚は、今のままでは持続不可能だと感じていた生活からの逃げ道を意味しました。脱出は現在の生活状況から抜け出すだけでなく、学業を終え、より多くの機会を得るチャンスでもあったのです。また、結婚することで交通の便がよくなることもナヘドにとってこの時点で大きなメリットでした。彼女の大学時代チュニジアでは「アラブの春」が起きていて、この抗議の期間中、街のインフラの多くは閉鎖され、自家用車なしでの通勤は困難でした。ナヘドは車で通学してくれる男性と結婚することで、彼女にとって重要な学位取得に必要なサポートを確保したのです。結婚は1年ほどで離婚に至ったのですが、ナヘドは後悔はしていないときっぱり言います。とは言っても、この生存戦略は若かったナヘドにとって必死の脱出であったとも認識していました。