チュニジアの状況

英語版はこちら ENGLISH VERSION

注:このページの全ての動画において日本語字幕をご利用いただけます。
字幕の表示方法はこちら

ナヘド・ベルキリアにとって、この記憶はチュニジアの社会的標準になじめない人々に何が起こるかを知る最初の例のひとつとなりました。自分のセクシュアリティに疑問を抱く少年とのこの体験は、ナヘドに強烈な印象を残しました。それは後に、心の健康を損ない、やがて自ら命を絶とうと考えるようになった彼女自身の通り道を映す鏡とさえなったのです。罰、孤立、暴力の例は、彼女が成長し、やがて田舎の大学に通うまでずっと続ていました。

ナヘドはチュニジアの女性で、自由と尊厳をもって生きようと努力しています。しかし、政治的、経済的に腐敗した国の国民として、特に、少なくとも信仰深く振る舞うことが求められる社会での無宗教者でLGBTQの女性として、彼女の道は決して平坦ではありませんでした。深刻な問題のひとつは、家族がナヘドの性的指向を否定し、受け入れようとしないことです。母親も父親も、姉も弟も、ナヘドとオープンにコミュニケーションをとったり、ナヘドへのサポートを示すことはありませんでした。その結果、緊張した家庭生活を送ることになり、彼女は完全に孤立してしまったのです。家庭内では沈黙の壁があり、公共の場では絶え間ない嫌がらせを受け、ナヘドはほとんど常に危険に直面していました。

28歳の時、彼女は生きるために難民にならざるを得ませんでした。彼女の選択によって有害な環境から離れることはできたのですが、生活が楽になったわけではありません。言葉も文化もわからないまま新しい環境に飛び込み、生き抜かなければなりませんでした。政府からの支援の欠如、差別、過酷な労働環境、難民に対する否定的な固定観念、新型コロナウイルスの感染拡大による社会的孤立といった困難にぶつかったのです。

多くの障害があっても、ナヘドはあきらめずに力強く生きています。彼女は現代フランス文学の修士号を取得して、その教養を生かし、複数のフィクション小説を執筆してきました。この書く能力はレズビアン女性としての経験と結びついた感情のはけ口となり、また彼女が重要だと思う社会問題に注意を向ける創造的な方法となりました。

著書にサインをするナヘド

どのような仕事であっても、ナヘドは常に貢献し、忠実に働くことを心がけています。現在は特定活動ビザを取得し、競争率の高い面接を勝ち抜き、福岡で事務職に就いています。彼女の合理的で批判的な思考は、物事を更に大きく捉えてより良い選択をすることを可能にするのです。

1. チュニジア革命

2011年チュニジア革命時の抗議行動 (Al Jazeera)

チュニジア革命は、2010年代に中東全域に広がった一連の「アラブの春」革命の最初のドミノでした。2010年12月17日にモハンマド・ブアジジの焼身自殺による抗議デモの後、シディ・ブジド市で抗議活動が勃発しました。この運動はチュニジア全土に広がり、数百人が政権交代を求めました。現政権はジネ・アル=アビディン・ベンアリ大統領のもとで、実質的に専制政治が敷かれていました。  

当時のチュニジアの政治状況は、あらゆるレベルで汚職にまみれていました。賄賂制度、特定の社会的地位や立場にある者への優遇措置、政府高官の命令による一般的な差別があったのです。  ナヘドは、自分を含め、お金も権力もない人々を標的にしたこうした構造の不平等を語ります。

彼女の家族は快適な家庭を築き、家族全員が高等教育を受けられるほど裕福でしたが、この汚職の影響はナヘドにも及んでいました。彼女はこの腐敗が周囲の人々の生活を不安定にするのを感じていたのです。

チュニジア革命最中、戦車の横に立つナヘド

国中で抗議デモが続く中数百人が拘束され、特に抗議者の大半を占めるチュニジアの若者の多くが殺害されました。人々が街頭でデモ行進をしたため多くのビジネスが閉鎖や破壊され、公共交通機関などのサービスも停止し、ナヘドは大きな影響を受けました。当時彼女は実家に住みながら大学に通っていたのですが、交通手段もなく、家族からの支援も最小限だったため、自分にとって重要な学業を終えることができないかもしれないと心配しました。困難な家庭生活から逃れられるより良い生活環境を見つけるため、また、彼女を学校まで送ってくれる人を見つけるため、ナヘドはある男性との結婚を決断したのです。

「チュニジアでアラブの春が始まったとき、すごい助けてくれて。彼がいなかったら、修士課程を修了することはできなかったと思う。当時は交通手段さえもすべて壊れていたから。だから毎日、大学で待ち合わせをして仕事に行くような感じだったかな。」

チュニジア革命の出来事がナヘドの人生の軌跡に直接影響を与えたことは明らかです。革命は彼女をさらに弱い立場に追いやり、他人に助けを求める結果となりました。

最終的にベン・アリ大統領は逃亡を余儀なくされ、2011年、チュニジアは政情不安定に見舞われました。チュニジアの人々はこの革命が前向きな変化とより大きな平等をもたらすと考えていましたが、10年間持続する影響はそれほど期待できるものではありません。チュニジア国民の3分の1が失業し、投票率は2019年時点で42%とかつてないほど低く、大統領レベルの権力闘争は全面的なクーデターにつながる恐れがあります。このことはチュニジアを悩ませてきた腐敗と不信の問題は強まるばかりであることを示していて、チュニジアにおける尊敬と金銭の関係についてのナヘドの感傷は今もそのままなのです。

2. チュニジアとムスリムとしてのアイデンティティ

チュニジアでは国民の99%がイスラム教スンニ派を信仰しています。この圧倒的多数派は、ラマダンのような宗教的祝日の習慣や豚肉やアルコールの摂取を控えるといった特定の行動規範を守り、アッラー(神)を崇拝する礼拝によく出席します。イスラム教がこの国の主要宗教であることを憲法でさえ認めているので、他の宗教を信仰しているか何も信仰していない人々は、人口のわずか1%という極少数ということになります。ナヘドはこの少数派の一人で、イスラム教の実践に反対していました。

イスラム教徒として慣習に参加することに抵抗があったため、彼女は「悪い人」として差別されました。仕事ができて道徳心があったとしても、宗教心が欠けていればナヘドは異常者であり、標的であるとみなされたのです。チュニジアでは外見上宗教心のない多くの人がこのような社会的叱責を経験していて、制裁を避けるために期待された慣習を実行する人も多いのです。

このようなターゲティングは、ナヘドが女性であるために特に多く見られます。イスラム教の女性の扱いに関する固定観念は間違ったイメージを与え、実際のムスリムの女性の経験は幅広いものですが、ナヘドは多くの重圧的な期待を感じていました。  多くの人は彼女が喜んで一緒に礼拝に参加するのが当然だと思っていたので、礼拝に行くのを拒むと心配し、怒りさえ覚えました。母親からは、チュニジアの少女たちに期待されているジェンダー概念に従うように、つまり処女としての高潔さを損ないかねないパーティーを若いうちは避けるようにという強いプレッシャーを感じていたそうです。ナヘドは、男性と結婚し、家庭を支える静かな生活を送るという期待された人生の道を歩むことへのプレッシャーも感じてていました。彼女が説明するように、チュニジアのような中東諸国では、イスラム教の期待に沿わない多くの女性が大きな差別と暴力に直面しているのです。

3. LGBTQIA+に対する態度

チュニジアの他の多くの女性がそうであるように、女性であるナヘドはすでに公共の場での脅迫や嫌がらせに直面していました。多くのチュニジア人女性がこういった経験について語っています。ナヘドは周囲の多くの若い男性が女性を攻撃し、批判しているのを目撃して、問題の根源は拒絶への怒りから来ている可能性があると認識しています。公共の場での若い男性たちによる迫害の経験は、ナヘドを取り巻く複雑な危険のひとつの例ですが、LGBTQIA+コミュニティの一員であることを自認する女性として、ナヘドはより大きなレベルの迫害に直面しました。

大学時代のナヘド

チュニジアの刑法230条では同性愛者であることを犯罪としていて、この法律は警察や政府によってLGBTQの人々や組織、活動家を組織的に標的にするために使われています。チュニジアでの性的指向に基づく差別に関する2021年の報告書によると、現地の同性愛者は多様な面で迫害を感じているそうです。同性愛者がチュニジア社会で「他者」として孤立し、固定観念が互いに利用されることで分断が深まることにより、社会的排除が起こるのです。

このような排除は、LGBTQIA+コミュニティにとって、医師への不信感による医療の欠如や、学校でのいじめによる教育の欠如など、別の問題を引き起こす可能性があります。ナヘドは学校でのいじめに直面しながらも、高校だけでなく大学も卒業することができましたが、社会人になると、職場差別や解雇による不安定な生活環境に直面するようになりました。  LGBTQIA+の人々が大人になるにつれ、職場差別や不安定な収入源といった新たな課題が頂点に達して、安定した成人期を築く能力が欠如することをナヘドは語ります。

しかし、ナヘドへのおそらく最も直接的で予測不可能な脅威は、制度的暴力に起因する状況や、公衆の面前で他者からのヘイトスピーチに遭遇することによって、もたらされました。こうした脅迫はチュニジア全土の多くの人々にとって共通の問題であり、ナヘドはレズビアンの女性である自分だけでなく、女性的な服装をするゲイの男性の経験も強調しています。

「LGBTの人々が皆同じではないことを覚えておくのは大事。」

ナヘドは、自分の体験がチュニジアにおけるLGBTQの特殊な領域のひとつであることを認識しています。彼女の体験はチュニジアのすべての同性愛者にとって普遍的なものではありませんが、彼らが直面する問題の根本的な原因を理解するためには、彼女の迫害と、それを克服するためにとった行動を知ることが重要です。

ナヘドもまた、難民としての旅を通して、この予想から外れることの実例を挙げています。最終的に彼女を日本に連れてきたその経験は、迫害から庇護国を見つけ、新たな人生を築くまでの軌跡を示すユニークな例となっているのです。