リベリアの難民事情

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オジーは子供難民です。「子供難民」とは18歳未満で自ら迫害から逃れる子供たちを意味し、その一方、「難民の子供」とは迫害から逃れる親の子供たちのことを指します。オジーは庇護希望者の子供であり、彼女自身が迫害を経験してきたわけではありません。しかし、オジー含め多くの庇護希望者の子供は、迫害を経験し国外に追われる親たちの影響を受けて育つのです。このページでは「難民の子供」の意味も含めて「子供難民」と呼びます。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2020年時点で、紛争や迫害によって故郷を追われた7950万人のうち、子供難民は3000~3400万人、約40%を占めるとされています。また、1993年には「難民の子供に関する方針」を打ち出し、「社会の弱者」「被扶養者」そして「発達途中」である難民の子供たちがいかに特別なケアを必要としているかを明言してきました。

子供である以上、庇護希望者や難民の権利だけでなく、子供としての権利も与えられる必要があります。これは国連の「子供の権利条約」にも記されており、数カ国を除くほとんどの国が署名しているため、国際的に普遍的なものとなっています。そしてこの条約は「子供の最善の利益を第一に考慮すること」を保証するものでもあります。


リベリア:アフリカ最古の共和国

難民の状況:オジーが家族とともにリベリアを脱出した理由

内戦を経験したオジーの母親は、リベリアでのオジーの幼少期は特に保護的だったと言います。若い女の子にとってリベリアがいかに危険な場所か分かっていた両親は、オジーに一人で外出することは許さなかったそうです。

リベリアは1989年から1996年、1999年から2003年にかけてと2度の内戦を経験し、約20万人が命を落とし、25万人以上が難民として国外に逃れました。内戦の主な原因は、政府とリベリア民主和解連合(LURD)とリベリア民主運動(MODEL)と呼ばれる2つの反政府武装勢力との対立でした。コートジボワール、ギニア、リベリア、シエラレオネの4カ国からなるマノ川流域がその中心地でした。多くを破壊した内戦は、政府、LURD、MODELの3主体による包括和平交渉への合意によって終わりを迎えました。

内戦から逃げ惑うリベリア難民 (New York Times)
内戦からガーナに逃れたリベリア難民の映像 (AP)

リベリア難民が故郷から追われる理由には、内戦だけではなくリベリアの伝統や文化 ー 例えば女性器切除や、被害者への脅迫や殺害に終わる呪術など ー も関係しています。オジーの家族はキリスト教徒ということもあり、女性器切除には反対の立場です。2016年にユニセフは、性器切除を経験した女性は30カ国に約2億人いると推定しています。リベリアでは40%以上の15歳から49歳までの女性が女性器切除を経験しています。

こうした歴史的、文化的背景が、オジーの両親がリベリアを去る理由となりました。母親は、自分の子供を精一杯守りたかったのです。自分と同じ経験をさせたくないという自分たちの思いから家からほとんど出られなかったオジーを見かね、ついにリベリアを去ることを決めたそうです。オジーにもっと与えたいと思っていた母親ですが、オジーは母の決断を理解していたと語ります。日本でオジーは安全な日常生活を送れており、母親の願いが叶っただけでなく、オジー自身もより多くの経験ができているのです。