パトリック

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パトリックは2018年に初めて来日した32歳のカメルーン難民です。カメルーンの南西部にある英語圏で生まれた彼は、厳しくも愛情深い母親と野心的でありながら現実的な父親という、地元で尊敬される実業家と政治家でもあった両親のもと、7人の兄弟とともに育てられました。しかしパトリックが生まれた国では、今日では話す言葉によって命を失う可能性もあるのです。

パトリックはカメルーンの英語圏とフランス語圏の両方に進出したい、そしていつかナイジェリア、トルコ、そして世界各地に拡大できるような大規模な牧場ビジネスを立ち上げたいと願いながら、2016年まで自分の野心を追い続けていました。その年は、カメルーンの植民地支配の過去に根ざしたアングロフォン(英語圏)とフランコフォン(仏語圏)地域間の緊張が高まり、ついに今日まで続く激しい内戦へと発展した年でした。 

2018年9月12日の夜、パトリックは友人から人生の軌道を永久に変えるような電話を受けました。子供の頃に住んでいた家が燃やされ、父親が分離主義者と関わっていたという疑惑のために家族が殺されたのです。同じ連中が自分を追ってくると分かっていたパトリックは、食料も水もなく、一片の希望だけを抱いて3日間森の中に逃げ込みました。その後カメルーンを脱出し、難民として別の場所に庇護を求めます。頼る人もなく日本以外に行くところもない彼には、新しい章、新しい人生を始めるチャンスがあるはずでした。

パトリックは日本で「安全」を得たかもしれません。けれど逮捕、拘留、日本の入国者収容所の劣悪な環境や骨の折れる選別的な難民申請手続きなど、不利な状況に直面し続けました。現在は仮放免中で東京に住んでおり難民申請中ですが、2%ほどとされる認定を受けるのには何年もかかります。収容所は出ているものの、仕事を探すことは禁じられているため、友人やボランティアからの支援に頼るしかない生活を送っています。 これは揺るぎない回復力と、自分自身や家族、そしてどんなに不確かで掴みにくい未来であっても持ち続けてきた不屈の信念についてのパトリックの物語です。

注:このページの全ての動画において日本語字幕をご利用いただけます。
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カメルーンでの生活

パトリックはアングロフォン(英語圏)とフランコフォン(仏語圏)地域に分かれるカメルーンに生まれました。この分断から生じた致命的な紛争と内乱の中で、少なくとも10万人のカメルーン人が避難を余儀なくされたとされており、アングロフォンの地域に住んでいたパトリックもその1人でした。

迫害の物語

アングロフォンの危機は、パトリックの人生を想像もしなかった形で変えました。パトリックはカメルーンでのビジネスで成功を収めていましたが、父親の分離主義者との関わが結果的に家族の死に至ってしまったのです。自身も死と隣り合わせの体験に直面したパトリックは、カメルーン軍から逃げるしかありませんでした。

止まった人生:カメルーンから日本への旅

パトリックはカメルーンの暴力と迫害から逃れるため、厳しい森の中をひたすら歩き、国中の狭い道を走り、海を越え旅をしました。しかし、到着した日本では身の保護と引き換えに移動の自由を諦めなければならなかったのです。今、パトリックの人生で動いているものは自分の年齢だけだと話します。

外国人の投獄

成田空港から牛久入国者収容所に移されたパトリックは、言葉の壁のためうまく理解できず、難民キャンプのような場所に行くのだと思っていました。しかし着いてみると、そこは彼の予想とはまったく違う刑務所のような場所で、そこで次の2年を過ごすこととなったのです。

日本での生活

パトリックはようやく仮放免で入国者収容所から釈放されましたが、就労、健康保険、移動などに対する制限は依然として彼の自由を妨げていました。それ以来、彼は厳格な制度と難民に関する社会的認知度の低いこの国で難民認定を求めて闘ってきたのです。