多くの俳優の初役:ウェイター

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「僕は今このときに集中し、やっていることに一生懸命取り組み続けるよ。」


難民や移動を余儀なくされた人々は、新しい環境に適応しなければなりません。与えられた役割を果たさなければならないとも言えるでしょう。与えられた役割に集中することでヤセルは人格を高めることができ、今も成長し続けています。

1. 重労働とさらに重い現実

1.1. アサイラム・カクテル

ヤセルを含め、多くの俳優にとって最初の役はウェイターです。そこで彼は、日本の新しい職場でより良い役を見つけるという「大ブレイク」を辛抱強く待ちました。その間彼は週6日、ほぼ1日12時間、お台場シティにあるレストランでウェイターとバーテンダーを務めました。朝霞の自宅からお台場まで片道2時間かけて通うヤセルは、キャリアをスタートさせる間、重い責任と厳しい現実に直面しなければなりませんでした。「最初の1年半か2年間は、家族を養って生きていくことだけが目標だった。大学や仕事、将来のこと、自分が何をしたいのか、何に情熱を注いでいるのかなど、考えてもいなかったよ」。

朝霞からお台場までの通勤経路 (Google Map)
モンスーンカフェからのお台場の眺め (モンスーンカフェ)

シリアの銀行でインターンとして働いたあと、異国でキャリアを再スタートさせたヤセル。レストランで働き始めてから自分の地位が上がっていくことを経験してきました。レストランでシフトに入っている間、彼は日本語を基礎から教わりました。日本語のフレーズや、ひらがなやカタカナで料理やカクテルの名前を覚えるのを手伝ってくれたスタッフがいたのです。お客さんだけでなくスタッフとも日本語でコミュニケーションをとることが必須だったため、ヤセルの日本語能力は向上していき、4ヶ月後には最初のステップに到達することができました。閉店シフトに入れてレジ締めができるようになったのです。これは、日本語の能力をさらに高めることができただけでなく、最も重要な仕事である金銭の取り扱いを任されたということでした。レジ締めはお釣りや売り上げの間違いを発見するだけでなく、今後の売り上げを伸ばすための重要な仕事でもあります。こうして、ヤセルはレストランの売上の将来を決定する責任者となりました。その時のことを彼はこう振り返ります。 「日本語を話せない僕でも何でも覚えられるってことをマネージャーに示せるように全力を尽くしたよ。」


「休んでいるときや外にいるときも、計画を立てたり、考えたり、自分が置かれた現実と向き合ってるよ。」


しかし、シリアを後にしてからは、ヤセルは言わば「その時の状況や現実をまだ自分の中に取り込んでいるような状態」でした。すなわち、「重労働 」に従事しながらも、彼は家族、特に母親を経済的に養う責任があることを、「親には貧困にさせないことで尊敬を示しなさい」というクルアーンの教えを通じ理解していたのです。このような重いプレッシャーは、同僚から尊敬の念によって軽くなったとヤセルは話します。「他のみんなはすごく敬意を示してくれて、その時僕がまさに必要としていた環境だったよ。周りに起きてる変化に慣れるのに精一杯だったから、優しい人の周りに入れてとても幸運だった。」どの業界においても、従業員がやる気と喜びを感じ、チームワークを向上させ肯定的な文化を促進するのに、お互いに敬意を示すことは重要なことです。敬意は社会的包摂にも大事な要因であり、国民と平等な機会や権利の取得につながります。シリア、エジプト、レバノンから逃れて「ふるさと」を失い、最終的に日本で難民認定を受けることに成功したヤセルにとって、周りからの敬意は彼が必要としているものでした。ヤセルは、さまざまな役割を担い始めながらも、信仰心を持ちくよくよせず、厳しい現実も尊重してきました。

同僚とともに働くヤセル

1.2. 裏方に隠されて

ヤセルは、与えられた役割に専念せざるを得ませんでした。自分が本当に望む役割を、まだ自由に選ぶことができなかったのです。難民事業本部(RHQ)の日本語講座やウェイターの仕事から少しずつ日本語を上達させたヤセルは、母親とともにRHQからいくつかの職業を紹介されました。そのうちのひとつが、自宅から近い池袋のアパレルの店員でした。特に母親は長く働きたいということでその仕事を選び、3年間働いたそうです。一方、ヤセルは母親が仕事に慣れるために約8カ月間母親と一緒に働き、大学に入るまでの準備期間や大学生の間も販売スタッフとして働きました。ヤセルには工場や倉庫での仕事も紹介されたため、「これが最良の選択肢のひとつだった」と話します。しかし、「最良の選択肢のひとつ」であっても、ヤセルにも母親にも苦労が待っていたのです。


「一生懸命仕事をしても、難民でしかないようなんだ。仕事をしても、そうとしか見られないし、そうとしか感じない。」


彼の同僚たちは、彼がシリアからの難民であることを知っていました。ヤセルは、そのアイデンティティが当時アパレル店での役割を得るのに役立ったと考えています。

厳しい現実を受け入れ、重い責任を負い、大学の課題もこなさなければならなかったヤセルにとって、アパレル店での労働環境は決して緩いものではありませんでした。尊敬されていたレストランでの仕事とは対照的に、ヤセルは外国人として、難民として、同僚たちから尊敬されるために戦い続けなくてはなかったのです。

アパレル店での起きたある出来事について、ヤセルが話してくれました。ある夜、ストレスを抱えていた店長と残業し、入荷した商品の箱開けをしていたそうです。この仕事を終わらせないと店長が上層部から叱られることを知っていたため、手伝うために自ら残っていたヤセルでしたが、箱を開けている途中に店長に八つ当たりされたのです。 「どうしてだか分からないけど、たぶん箱にテープを貼る自分のやりかたがあったのかもしれない。それか権力を示したかったのか、やり直せって強く言われたんだ。」と話します。この出来事は、ヤセルを従業員としてだけでなく、外国人、難民としてのアイデンティティを縮小させました。これが彼が販売員として働いていた頃に経験した大きな対立だったそうです。日本は「過労死」現象に代表されるように、ストレスの多い過重労働の国として世界的に悪名高い国です。それゆえ、新しい環境に置かれた外国出身者はカルチャーショックを経験するのかもしれません。実際、外国人労働者に関する日本人管理職の不満のトップ5に、日本人にとって常識とされる文化的・伝統的概念を理解していないということが挙げられます。日本文化におけるこれらの常識のひとつに「我慢」の概念があります。困難で予期せぬ出来事が起きた時に、社会との調和を維持する手段として耐え忍ぶ能力である「我慢」ですが、長時間労働のために自分の時間を犠牲にするという意味で使われることもあります。言い換えれば、ヒエラルキーと集団主義の社会では、幼い頃から教え込まれた他の文化的概念に従って労働者が「我慢」することは「当たり前」なのです。それゆえに、ヤセルは自分の職務を全うし誠実に働き続けているにもかかわらず、労働文化の違いによって同僚から尊敬されていないように感じてしまいました。このことが、社会へ溶け込むことの難しい現実を物語っています。

アパレル店で服の箱を開けるヤセル
倉庫のイメージ (LINE)

「この3年間、母はずっと外でただ…ベストを尽くしているし、好んで一生懸命働いているって示すためにやってきたんだ。」


アパレルショップで販売スタッフとして働いていた頃、ヤセルは大学の授業が終わった午後6時から11時まで、母親と一緒にストックルームで箱から洋服を出したり掛けたりしていました。「日本語を流暢に話せない母親のそばを離れたくなかったんだ」と話します。

シリアでは彼の両親は共働きで、特に母親は働くのが好きでした。「シリアでは従業員はみんな朝8時から働いて、午後2時には終わる。学校も同じだから、その後は家族みんな一緒なんだ。」と言います。ヤセルと彼の家族が住んでいたダマスカスの市町村のひとつ、ルクネディーンではワークライフバランスが健全であるだけでなく、「両親ともに働いているような家族がたくさんいた」と話し、シリア経済における女性の役割の変化に触れました。

ヤセルの故郷 ダマスカスの自治体ルクネディーン(Rukun Eldin) (Wikipedia)

ダマスカス大学の旧商業学院を卒業し、シリア国営テレビで20年間働いた後、来日後に小売店で働くことにしたヤセルの母親は、言語の壁や同僚からの敬意など、労働環境に劇的な変化を経験しました。これはヤセル自身の体験談ではありませんが、彼にとって最も身近な存在である母親が経験した下降移動(社会的地位が下がること)を物語っています。このような下降移動を経験するのは、彼の母親だけではないことに気付くことが重要です。難民の大半は新しい土地に到着したときに、そこでの状況や役割に適応しなければならず、言葉の壁や新しい環境では馴染みのない学歴や資格などの理由から以前の職業に就くことができないため、出身国よりも地位の低い仕事に就かざるを得ないのです。このような障害にもかかわらず、ヤセルの母親は自分が情熱を注いできた仕事を続けました。ヤセルはこのような母親の影響を受け、難民がいかに勤勉であるかを示すとともに、自分の情熱を逞しく追求し続けたのです。

2. 子供との仕事

2.1. イギリス(ではないところ)からの英語教師


「子供は一人の人間として接してくれるんだ。どこの出身であろうと気にしない。」


前職のアパレル店では大人の同僚から敬意を持って接されなかったので、ヤセルは英語教師としての時間は良い思い出としています。仕事の契約上出身地は明言せず、なぜかイギリスから来た英語教師と紹介されましたが、子供たちやその親たちは思いやりを持って接してくれました。「時々、子供たちが何を学んでいるのか親達に概要を話すんだけど、どこから来たのとか、そういう細かいことには踏み込んでこなかったよ。」と話します。

これはおそらく、人のアイデンティティに関する偏見は人々の間で広がるものだということを明確に示しているのでしょう。しかしその一方で、移民、特に迫害のために国境を越えて移動するのではなく、むしろ生活を向上させ、政府に権利を保護されながら安全に帰国できるようにするために移動する、特にイギリス、アメリカ、日本などの国からの人々は、シリアやその他の中東、アフリカ諸国など、迫害の恐怖のために国を脱出する選択肢を持たない難民や亡命希望者に比べて、はるかに尊重されやすいという別の視点も浮き彫りにしています。

幼稚園の他の英語の先生たちと一緒に写るヤセル

とはいえ、この英語教師の仕事はヤセルに大きな安らぎを与えてくれました。自分のアイデンティティに関係なく日本社会にゆっくりと溶け込んでいける存在だと、何人かの日本人によって人情味あふれる気持ちになれたのです。

(イギリス出身の)英語教師として幼稚園で働くヤセル

「日本には本当に難民を嫌う人がいるよね。それはコメントからも超分かりやすかった。」


ヤセルは、英語教師としての役割で高揚感を味わう一方で、特にインターネットによる意気消沈も経験しました。シリア難民としての体験に興味を持った人々が彼のインタビューに答えた後でも、イスラム難民と彼らの「過激な」イスラム信仰に対する誤解が主流メディアによって強固にされ、日本社会に蔓延しているのです。

9.11以降、日本だけでなく欧米社会でもイスラムに対する嫌悪や偏見が高まっています。特に日本では、宗教に対する偏見は無関心や恐怖症、無知を伴っています。このような無知は、イスラム教と原理主義・過激主義、そしてイスラム教徒とテロリストを結びけるのです。

戦前の日本では、ムスリムと日本の関係(具体的には、帝国主義の目的に奉仕する日本の汎アジア・ナショナリストと、欧米の植民地支配からの解放を目指すムスリムディアスポラのナショナリストや汎イスラム主義者との関係)は、正式な外交関係よりもむしろ非公式な結びつきによって栄えてきました。しかし、そのような関係は時間の経過とともに薄れ、今日、ムスリムとイスラムのコミュニティは、日本の一般市民には比較的知られていないままです。しかし、2011年の9.11同時多発テロ、2015年のフランスでのシャルリー・エブド銃乱射事件、そして2015年のイスラム過激派グループによる日本人2名の誘拐・殺害事件といった大きな事件は、日本国民に恐怖心を引き起こしました。そして、日本では依然として少数派であるイスラム教とその信者に対して、むしろ否定的な国民的関心をもたらしたのです。

2001年、日本の小泉純一郎元首相は米国との緊密な関係を追求しました。9.11同時多発テロ以降、日本の警察はテロに対する警戒を強め、特にイスラム教徒を標的にしました。そのため、世界中の多くの人々を不安にさせたこのような出来事は、すべてのイスラム教徒とは言わないまでも、ほとんどの教徒がテロリストと同じであるというイメージを結果的に強めてしまいました。言い換えれば、イスラム教徒は日本の国家安全保障を脅かす存在として認識され、そのような考え方は現代の日本にも浸透し続けているのです。さらに、特に日本の高校では、イスラム教とイスラム世界についての教えが不足しています。確かに中世の時代に重要であったことが強調されたイスラム文明についての言及はあるのですが、イスラム教はしばしば攻撃的で厳格なイメージになっています。日本のメディアはイスラム教徒の日常生活に焦点を当てるのではなく、戦争、テロ攻撃、政治問題、宗教的慣習など、一部の人々には後ろ向きと思われるようなものに焦点を当てることが多いのです。そのため、イスラム教とイスラム教徒に対する偏った典型的な描写が深く根付いていて、それに支配されたままになっています。ヤセルはよく聞かれた質問を思い出して、「いろんな人がイスラム教と私たちがしていることに興味を持っていたよ。なぜラマダン(断食)をするのか、なぜ酒を飲まないのか、なぜ豚肉を食べないのか。こんな質問ばかりだったよ。」と振り返ります。日本におけるイスラム教の知識不足は難民の受け入れ率の低さに起因しており、このような誤解、恐怖、イスラム嫌悪を助長してその連鎖を生み出し、ヤセルのような難民がより多くの人々に完全に溶け込むことを難しくしているのです。

2.2. 叶わぬ夢

ヤセルの情熱のひとつはサッカーでした。彼はシリアの政治情勢から離れて日本でプロのサッカー選手になるためにオーディションを受けたのですが、残念なことに、その夢は怪我に打ち砕かれてしまいました。2019年、アーセナル・フットボール・クラブ・アカデミーでのリーグ戦後、ヤセルは第2度の内側副靭帯(MCL)損傷を負い、2週間動けなくなってしまったのです。けれども、別の方法でサッカーへの情熱を追求し続けました。大学生だった彼は、週に2、3回、新宿を中心に子どもたちを指導したのです。

英語教師としての役割とは対照的に、ヤセルは子どもたちや保護者、同僚たちに自分がシリア難民であることを明かしました。難民であることがネガティブな意味合いを持つという現実に直面した経験から、意図的にそのことを口にするようになったのです。 「ここでは難民という言葉は好まれない。でも、僕はわざとそう言うんだ。ここで何をしているの?って聞かれたら、難民として来たんだよっていう感じ。初対面の人、特に日本人に会うときは、いつも最初にそのことを言うんだ。」と話します。それにもかかわらず、子どもたちや両親、同僚たちはヤセルに敬意を持って接してくれて、健全な人間関係を築いていました。サッカーのプロになるという夢を追いかけることはできませんでしたが、子どもたちと特別な関係を持つことができる別の仕事の道を歩むことは「神の計画だった」と彼は断言しています。

3. 誤解との戦い


「難民もここで何かをしてるって証明したかったんだ。」


主流メディアによって引き起こされる難民やイスラム教に対する否定的な認識があるのは前述した通りです。そこでヤセルは「日本人のためにシリアについての認知度を高める」ことを個人的な使命としました。彼だけでなく他の(イスラム教徒の)難民が全ての人々と調和するのを妨げるイスラム教や難民への誤解を遠ざけて、これらの幻想から生み出される恐怖心を和らげたいと思ったのです。

「何かをしたいんだ。僕たちはベストを尽くして、全て失ったけど生き延びようとしてる。全くのゼロからもう一度頑張ってるって声を上げたい。」

偽の難民申請者(就労許可や生活保護の申請・受給といった難民認定上のメリットを利用する人々)の存在は、日本の難民受け入れ率の低さを正当化する理由のひとつです。

このような誤解は、難民、あるいは一般的な外国人が、福祉制度を利用する怠け者で悪意があるという一般的な認識を生み出しています。幼稚園の英語教師として働いている間、難民であることやイスラム教であることを攻撃するコメントを受けたヤセルは、これを挑戦として受け止めました。「僕はまだ外国人で難民だけど、難民が日本で人の給料を奪いたいだけの怠け者ではないことを証明しようとしているんだ。すべてを失い、20歳、21歳になって突然新しい生活や新たな責任を持ってすべてが変わってしまうこと、これは本当に簡単なことではないんだ。」と言います。これまでにも、シリア難民としての経験やプロサッカー選手になる夢について語るインタビューは何度も受けてきましたが、こういった取材が彼の言いたいことを反映していないことがあったと語ります。そこで彼は、大手テレビ会社からの誘いを断り、中間業者(つまり、ヤセルのメッセージをより多くの視聴者に伝える役割を担うテレビ会社やチャンネル)を退けて、その代わり人々に直接語りかけるようになりました。

ヤセルは誤解を減らす努力をしてきましたが、「難民」や「イスラム教」という言葉につきまとう否定的な意味合いが良い方向に変化しているかどうかは正直分からないと話します。それどころか、講演者としての役を担うようになって以来、おそらく悪化していると感じているそうです。 「一般的に日本人は難民やイスラム教徒会う機会がそれほど多くない。だから、メディアから流れる情報を鵜呑みにしてしまい、シリアや難民に対する正しいイメージを持ってもらえないんだ。メディアは悪いイメージや難民が起こしている問題を伝えるから、当然悪影響を及ぼす。実際の難民やイスラム教徒と接する機会がないからね。」と話します。

前述したように、日本は難民の受け入れ率が低いのが現状です。シリア内戦の混乱が始まった2011年から5周年を迎えた2016年までの間に、3万1159人の難民申請者の中から7人のシリア難民(うち3人はヤセルと彼の母親、彼の妹)を難民として認定しました。そして、日本におけるイスラム教徒の割合は、2020年の推計では人口の0.2%にも満ちません

相手と直接話すことを優先させることで、ヤセルはイスラム教や難民であることの意味を誤解している人々ともつながりやコミュニティを築いてきました。「僕はいつも喜びを持って、難民やイスラム教、クルアーンについて人々に教えたり、イスラム恐怖症を取り除くことに全力を注いできたよ。」と言います。たとえインターネットが視聴者にとって身近なものであっても、より正確な状況を知るためには個人的な経験を語ってくれる人々に接することが大事です。ヤセルの場合、難民やシリアの状況に関心を持った若い学生たちがヤセルの講義に参加してきました。

4. 画面上で

4.1. お金のないママ

2019年に負傷し、日本でのプロサッカー選手としての活動が制限されて以来、ヤセルは一転してソーシャルメディア・パーソナリティや俳優として活躍するようになりました。「人前で話すのが好きなんだ。緊張したり、恥ずかしがったりすることはないよ。」とヤセルは言います。ヤセルの人柄を見て、友人は俳優事務所に彼を推薦したそうです。ヤセルは2018年にその事務所に所属することができ、俳優への情熱をさらに開花させたのです。

TikTokでソーシャルメディア・パーソナリティとしての道を歩み始めたヤセルは、日本の視聴者を喜ばせるのは比較的難しかったと振り返ります。それでも彼は毎日2、3本の動画を投稿し続け、日本のTikTokのトレンドを追いかけながら「絶対に成功させる」とエネルギーを注ぎました。そして70本以上の動画を投稿した後、「ただいま」を多言語で言う「ただいま」シリーズで日本の視聴者にアピールすることができたのです。ドアを開ける際にこのコメントを日本語で言ってほしいとリクエストが寄せられるようになり、違う声やスタイルで(ヤセル本人や妻、妹が演じる)「ママ」などのキャラクターが応答するというアイディアを得たのです。つまり、彼の動画が人気を集めるにつれて日本の視聴者と交流し、日本語のユーモアで視聴者との絆を深めていったのです。「僕のことをキャラクターとして気に入ってくれている。どこの出身かなんて気にしていないかもしれないし、そうじゃなければシリア人は面白いのかもしれないというポジティブなイメージを持ってもらえてると思うよ。」と語ってくれました。現在、TikTokのフォロワー数は13万人、「いいね!」は350万を超えています。

主に若い世代である13万人の視聴者のコメントや、彼のプラットフォームに偶然出くわした人々のコメントと直接関わることで、ヤセルはユーモアを通じてコミュニケーションをとることができました。最終的には、あまり先入観なしに好奇心さえ抱いて彼のアイデンティティに興味を持ってもらえるオンライン・コミュニティを作り出しています。ユーモアは、ヤセルと彼のターゲットとする視聴者の共通点と相違点を結びつけるものとして使われています。しかし、彼はまた難民としてシリア人として、第三者によるドキュメンタリーやインタビューの限界と戦いながら自分自身を表現することもできるのです。言い換えれば、ソーシャルメディアは、より政治的なものであれ、ヤセルの場合はユーモラスなものであれ、彼のメッセージを伝えるための主要な情報源となっています。

4.2. そして…アクション!

ヤセルはフルタイムの俳優として、またソーシャルメディア・パーソナリティとして、俳優業界で経験を積むにつれ自分がひとつのジャンルやひとつのタイプのキャラクターに縛られなくなってきていると考えています。この仕事では創造性を発揮し、コンテンツを創り出すことができるため、スクリーン上のキャラクター全体を発展させることができると述べているのです。興味深いことに、ヤセルは就業の機会に制限があるにもかかわらず、キャリアを通じて彼のキャラクターを発展させてきました。外国人や難民に人気の職種であるレストランスタッフや英語教師、販売スタッフから、在日難民のためのソーシャルメディア・パーソナリティや俳優という型破りな仕事まで携わっています。「難民は日本で給料をもらいたいだけの怠け者ではない。しかたなくその状況になって、生きていくために精いっぱい頑張っているんだ。」と話します。


「たくさんのオーディションに落ちて、経験を積んだよ。最も重要なことは、何かに熱中しているときとか長い間働いているときに時間を感じないこと。次に、喜んでそれをすること。だから、何時間費やしても平気なんだ。」


主演したエビアンCMの舞台裏(左が完成バージョン)

5. それで…次は?


「その後は、神がどんな計画を持ってるか見てみるよ」


ヤセルにはまだ将来の色々な計画があります。2018年12月、彼はクリスマスにドイツを訪れ、妻の家族だけでなく、シリアのいとこや叔父にも会ったそうで、「社会生活はここ(日本)よりもずっといい。基本的にみんな知っているシリアのように感じたよ。」と言います。家族関係のためにドイツへの移住を考えているだけでなく、母親にも人々と出会ってより良い社会生活を送る機会を提供することも望んでいます。「ここに家族を置いてくわけには行かないからね。」と話します。

しかしその一方で、「人々は後押ししてくれる。努力を重ねるほど、そしてそれを培うほど、より多くのものが返ってくるんだ。」と話し、日本に留まりたいとも考えているそうです。とはいえ、将来何が自分にとってベストかを知り、導いてくれる神に信頼を置いています。今のところ彼は現在に集中し、ソーシャルメディア・パーソナリティとして、またフルタイムの俳優として、経済的に自分を維持することに重点を置いているそうです。

ヤセルの活動は以下のリンクからご覧になれます。