サッカーをするヤセル
「小さなボールを買って、自分たちで2つのゴールを作って放課後もプレーしていた。プロになりたい、チームに入りたいと思っていたんだ。」
サッカーはヤセルにとって、幼少期から成人期まで人生のさまざまな時期に重要な意味を持ちました。困難な時期にも情熱を注ぎ、周囲の人々とのつながりを築く方法をサッカーが教えてくれたのです。サッカーへの情熱を表現する方法に若干の変化はあったものの、ヤセルの人生にもたらした影響は計り知れません。
幼少期のサッカー
「よく学校に早く行ってサッカーをしていたよ」
シリアではサッカーは子供たちの間で人気のあるスポーツで、幼少期、ヤセルは友人たちとサッカーを楽しみました。サッカーを通じて知り合った友人たちは、後年、難民として来日したヤセルの後を追いかけてきたそうです。
シリアでのサッカー経験は、ヤセルにとって決して楽なものではありませんでした。プロのサッカー選手になることを望んでシリアで育ったヤセルは、いくつもの抑圧に直面しました。シリアでプロになるという夢は、コーチの「ヤセルはサッカーの才能があってもプロにはなれないだろう」という一言で完全に打ち砕かれてしまいました。それでもサッカーを続けたいというヤセルの情熱は消えなかったのです。
日本でのサッカー
「日本での最初の友達になったよ」
来日して数カ月経っても、ヤセルのサッカーへの情熱は消えることはありませんでした。むしろ、サッカーをする喜びを自由に表現できる環境があったからこそ、その情熱はより強くなってきたのです。来日して間もないころは、家族を守る父親的な役割を突然担ったため人生で最も大変な時期でしたが、体育館でフットサルをしている人たちを見つけて、気軽に声をかけたりしていました。日本社会には排他的な風潮があるため、見知らぬ人に声をかけるのは難しいかもしれません。けれど、ヤセルは慣れない環境で新しい人脈を作ることを恐れませんでした。冒険好きな性格とサッカーへの強い情熱の両方が、日本での新たな人脈作りの旅を導いたのです。
プロサッカー選手への挑戦
シリアで一度は打ち砕かれたプロサッカー選手への夢が、日本での生活で再びよみがえりました。日本のプロサッカー協会であるJリーグに入団するには、才能だけでなく人と人とのつながりが大切だと、夢に近づいた成功体験を語ります。Jリーグにプロとして入団することは、日本サッカー界の多くの選手にとって夢であり、将来的には海外サッカーリーグへの挑戦にもつながる登竜門なのです。
「プロになろうと一生懸命だった」
かつてプロサッカー選手を夢見たシリアの少年から、難民として日本でサッカー人生を歩むことになったヤセルにとって、Jリーグでのプレーは思い描く将来の道となりました。社交的な性格から日本での人脈も広がり、やがて生涯の夢に近づいていったのです。
プロへの道を断念
「お告げだよね」
しかし、サッカー選手への道を前向きに考えていた時期に、太ももと膝の2カ所を痛めて入院することになってしまいました。過酷な練習で足に激痛が走ることが多くなっていたのですが、重症を負ってしまったのです。プロになりたいというサッカーへの強い思いがあっても、夢をあきらめるほかありませんでした。この苦渋の決断を下したのは、先述したヤセルの人生のモットーです。「戦いがあなたがたに規定される。だがあなたがたはそれを嫌う。自分たちのために善いことを、あなたがたは嫌うかもしれない。また自分のために悪いことを、好むかもしれない。あなたがたは知らないが、アッラーは知っておられる。」ヤセルは神からのこのメッセージを良く受け止めているのです。
「神は僕にそれを望まなかった。僕にとって良いものではなかったのかもしれない。」
宗教はヤセルが経験してきた困難な時期に重要な助けとなっており、サッカー選手の夢を諦めたのは今までで最も困難な決断のひとつでしたが、最終的には神の言葉によって救われたといいます。今、ヤセルは新しい変化を受け入れることを恐れてはいません。ヤセルが思い描いていた道とは別のものに移らざるを得なかったとしても、俳優として歩んでいる現在の道は、ヤセルを純粋に奮い立たせる新たな情熱となっているのです。
日本でのサッカーコーチ
「サッカーを教えるのは本当に楽しかった」
プロになることを諦めた後、ヤセルは日本でサッカーコーチとして働く機会を得ました。ここでヤセルは、以前とは違ったサッカーに関わるという喜びを経験しました。自分がサッカーをするのではなく、子どもたちにサッカーを教える。この経験はヤセルにとって新鮮でした。自分が楽しいと思うことを他の人たち、特に子どもたちにも伝えたいという情熱を発見したのです。サッカー選手になる夢は終わりを告げましたが、これが当時のヤセルの新たな情熱であり、それを伝えるインフルエンサーとしてのヤセルのSNSでのキャラクターは今日も輝き続けています。ヤセルは純粋に子どもたちとの交流を楽しみ、同僚たちとも友情を築きました。多忙なスケジュールのため、このサッカーコーチとしての経験は3ヶ月間しか続かなかったのですが、それはヤセルが日本で経験したエキサイティングな体験のひとつになりました。
子どもたちと
ヤセルの人生におけるサッカーの重要性を示すさまざまなときを探ってみると、サッカーが与えた影響の大きさは、人とのつながりを深め、情熱的な性格を培ったことを明確に物語っています。サッカーはヤセルの人生にポジティブな光を当てました。 ヤセルは今、俳優として人生の次の章に進むことを決めましたが、サッカーはヤセルの新たな情熱を受け継ぐ資質の基礎を築いたのです。
「嫌いなことでも自分にとっては良いことかもしれないし、好きなことでも自分にとっては悪いことかもしれない。」
このイスラムの教えを人生のモットーとし、人生に3本の柱を持つことで、ヤセルは今日の地位を築いてきました。このような経験を通して、ヤセルは信仰心を持ちつつ開放的で、家庭的で、情熱的な人間になることを学んできました。宗教、家族、そして情熱という3つの要素を大切にすることで、苦難にもめげずに前向きな道を歩んでいます。