ヤセルとは誰か?

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ヤセルは1992年、シリアのミダン地区に生まれました。2011年に始まった内戦によりシリアを後にし、2013年に母親と妹とともに来日。2015年に難民認定を受けました。信心深く、家族思いで情熱的なヤセルは、いつも前向きに生きています。難民としての旅路を通して困難な時期に直面しながらも、ヤセルは常に宗教的信念、家族、そしてサッカーへの情熱の存在に救われてきました。この3つがヤセルの人生の重要な部分を築いています。



1. イスラム教の信仰とアイデンティティ

ヤセルはイスラム教の家庭に生まれ育ち、特に苦難な時は宗教を生活の中心に置いてきました。幼い頃に戦争の危機に直面し慣れない環境の異国に移住、その後自立と家族を守る重責を経験しながら成長してきました。ヤセルの信仰心が、今日の彼を形成する楽観的な物の見方を与え、彼の人生の道を切り開いてきたのです。

人生で最も大きな影響を受けた3つの要素の中で、ヤセルは宗教が最も重要だと考えています。

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1.1. 宗教的習慣

座右の銘

「戦いがあなたがたに規定される。だがあなたがたはそれを嫌う。自分たちのために善いことを、あなたがたは嫌うかもしれない。また自分のために悪いことを、好むかもしれない。あなたがたは知らないが、アッラーは知っておられる。」

クルアーン第2章雌牛章第216節(イスラムのホームページ

この節はクルアーンの中でも特に重要であると、ヤセルは述べています。生涯を通じて幾多の障害に直面してきたヤセルの人生に、希望をもたらしてくれる箇所だそうです。誰しも何をやってもうまくいかないときは苛立ちを覚えますが、ヤセルにとっては問題ではありません。ヤセルは神の言葉を信じているからです。たとえ最初は不満足であったとしても、それが明るい未来につながると信じているのです。それがヤセルの人生のモットーであり、これからもそうあり続けることでしょう。

「全ての説明がつくんだ」

家族への愛と宗教的信仰心

クルアーンの神の教えは、ヤセルの家族に対する思いやりや愛情にも深く影響しています。クルアーンには家族の重要性に言及した多くの箇所があり、それが結果的にヤセルの人生を築き上げる要素のひとつとなりました。家族、特に母親に焦点を当てた様々な箇所があり、家族を大切にすることはやがて神の祝福につながるとの教えがあります。ここから、ヤセルは家族思いで思いやりのある人間になることを学びました。

「言葉を慎んで敬うこと」

人を「殺す」ことの意味

イスラムの教えは、ヤセルの人生の決断にも大きな影響を与えています。ヤセルが宗教的信仰と向き合った経験のひとつに、シリア革命があります。ヤセルが言うには、宗教と政治が混ざり合うことで、罪のない多くのシリア人が命を落としているからです。

この戦争危機のさなか、ヤセルは自由シリア軍を支援するかどうかという難しい決断を迫られました。自由シリア軍はもともとシリア政府と戦うために創立されたのですが、徐々に防衛のために軍事力を行使し、敵のシリア人を殺害するようになっていました。それは神の言葉に反するのは疑いようがなく、結局ヤセルは軍を支援しないと決めたのです。

ヤセルは、他者を殺すのはイスラム教徒にとって致命的な罪だと神が受け止めていることに言及しています。「一人を殺せば、全人類を殺したようなものだという教えがあるんだ。」

「人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。」

クルアーン第5章食卓章第32章(イスラムのホームページ
「彼らは政治の名目で他のイスラム教徒を殺してるんだ」

1.2. イスラム教と他の宗教

忠実なイスラム教徒だと自認するヤセルは、世界に存在するさまざまな宗教に対しても寛容です。

「本物のイスラム教徒ならキリスト教徒とも名乗るはず」

ヤセルは特に、キリスト教とイスラム教の類似点と相違点に対して柔軟な視点を持っています。ダマスカス大学に在学中に聖書を学ぶ機会があったそうですが、両宗教をつぶさに観察した結果、互いに憎しみ合ってはならないという点においてこの2つの宗教は根本的な核心は同じであるという結論に達したといいます。他人の主張を盲目的に信じるのではなく、社会の中の事柄に常に好奇心を持ち、自分自身で答えを発見することの重要性をヤセルは強調しています。ヤセルの最初から決めつけることのなく、柔軟に異なる視点を受け入れる性格は、多様性に触れる機会が多かった幼少期に根ざしているようです。

「キリスト教徒の友達もたくさんいるよ」

シリア戦争以前、ヤセルがいた環境ではそれぞれの宗教を気にすることはありませんでした。ヤセルの大学生活は多様性に満ちていたのは、彼の偏狭ではない性格が異なる宗教的背景を持つ友人を持つことを可能にしていたからです。誰もが異なる宗教的信条を受け入れており、ヤセルはそのような多様な環境で大学生活を過ごすことに抵抗はありませんでした。ヤセルの柔軟性を構築した背景には、異なる信念や考え方を受け入れるという幼少期の影響があったようです。

2. 家族の影響

2.1. ヤセルの人生へのポジティブな影響

ヤセルの柔軟性は彼の人生の他の側面、特に家族によっても育まれました。前述したように、ヤセルの受容的な性格は幼少期に両親(特に母親)によって培われたものです。ヤセルの母親はかつてシリア国営テレビで働いており、シリアでは比較的多様な職場環境にいました。

柔軟性

「違いは全然関係なかった」

ヤセルが育ってきた環境を振り返ると、彼が多様性を多く経験していたことが分かります。シリアでは異文化に触れることは比較的珍しいので、ヤセルは自分が恵まれていたと考えています。ヤセルの母親の友人たちは、ヤセルが普段家で祝っているのとは違う宗教行事のクリスマスパーティーに招待してくれたそうです。この経験がヤセルを先入観を持たず、理解力のある人格に築き上げ、大学生活にも良い影響を与え続けたのです。

2.2. 男性として守る責任

家族を守ろうとする強い意志

困難な環境に置かれたとき、ヤセルは常に家族を心のよりどころとして戦い続けてきました。ヤセルが語る困難な時期のひとつはシリア革命で、ヤセルは他の人々が悲劇的な形で愛する人を失うのを目の当たりにしました。敵対する市民を軍事政権が簡単に攻撃できるような危険な状況のなか、ヤセルの家族も例外なく政府による死の脅威にさらされました。このような生死の境で、ヤセルは家族を守ろうと決意したといいます。家族の大切さを思い知らされたのです。

「家と家族を守るためにね」

ヤセルの家族に対する愛情は計り知れません。ヤセルの父親は家族のために遠く離れた場所で忙しく働いていましたが、なんとか家族を守る大黒柱でした。しかし、シリア戦争が勃発すると、ヤセルは家族、特に母親と妹を戦争の惨禍から守ろうとする強い意志を徐々に顕在化させていきました。当時、家族を守るには若すぎたヤセルでしたが、イスラム教では他者を殺すことが大罪であると認識しつつも、その宗教的信念に逆らってでも家族を守ろうと決意したのです。信仰心は持ちつつも、「怪物」となってでも家族を守る責任感の方を強く感じたといいます。 この「守りたい」という強い意志は、その後の日本での生活で次第に一家の大黒柱としての役割へと成長していきました。

家族内での役割の激変

「忍耐強く働いて家族を養うか、あきらめるか。」

家族の安全のために母国を後にしたものの、日本に到着してからも困難な状況が続きました。慣れない国で、戦争前のシリアでのような安定した平穏な暮らしを送れるか不安を感じながらも、ヤセルは家庭の大黒柱になろうと奮闘しました。シリアでは父親が家庭を守ってくれていましたが、日本では状況が一変、家族は誰も日本語を話せなかったため家族の安定した生活が課題となったのです。当初、ヤセルは自分がすべての責任を背負う状況に困惑しました。20歳の若さで、いきなり大黒柱になるという苦渋の決断を迫られたのです。

「もし僕が諦めたら家族がバラバラになってしまう」

そんな厳しい状況でも、ヤセルは日本で生きていくために、男性として家族を守ることを決意しました。クルアーンに「常に家族を大切にし、愛しなさい」とあるように、家族のために最善を尽くしたのです。ヤセルは自分だけでなく、家族に対しても責任を持つようになりました。家族に問題が起きたときには、ヤセルが恐れずに立ち上がり解決するのです。

「最初に動くのは僕なんだ」

妹を守り、絆を深める

妹と

ヤセルが特に苦労したのは、日本で妹を助けることでした。来日当時12歳だった妹は思春期真っ只中で、新しい環境の中で自分の居場所を見つけるのに苦労していました。ティーンエイジャーにとって、言葉もまったく違う国に身を置くことは非常に困難なことです。自分に何が起こっているのか理解が追いついていなかった彼女は、ヤセルのように早く溶け込まなければならないという大きなプレッシャーに突然さらされました。家族をまとめる中心的な男性として、妹が一人で抱えている苦労を助けたいと思ったヤセル。しかし、彼女は難民としての長い旅で疲れ果てて感情的な壁を作っていたため、それは困難だったのです。

「僕は妹を後ろから支えてきた」

妹との親密な絆を維持するのに苦労しながらも、ヤセルは励ましや話しかけ続けることで、再び心の壁を破ることに成功しました。日本では外国人である彼女が学校などの小さく閉ざされたコミュニティに溶け込むのは容易ではありませんでしたが、今ふたりはこれまで以上に親密になり、互いについて多くのことを分かち合うことができるようになったそうです。ヤセルは人生で最も困難な時期にも楽観的で、不可能なことなどないといいます。家族の大黒柱としてのこうした経験のすべてから、ヤセルは人として成長する機会を得たのです。

モチベーション

「信念が、自分を支える土台、柱だ。」

「忍耐力に褒美をもらえる」

ヤセルは、特に日本での苦しい時期に、忍耐力を身につけました。若い人間には耐えられないようなこともあったのすが、ヤセルは違いました。自分の将来を必ず明るい方向に導いてくれると信じているイスラムの教えによって、障害を乗り越えることができたのです。ヤセルは今日、かつてないほど仲の良い家族とともに日本での暮らしに安らぎを得ています。中心的存在のヤセルが保つことによって、家族の絆はより強くなっていくことでしょう。故郷は、ヤセルの家族がどこにいても変わりません。

2.3. 叔父との強い絆

ヤセルには母方の叔父がいて、現在はドイツに住んでいます。ヤセルがその叔父と親密なのは、彼らの生活圏が近いからです。 小さい頃から叔父はいつもヤセルのそばにいて、 仕事が終わるとよくヤセルの家族を訪ねてくれました。シリアでは学校も仕事も終わるのが午後2時で日本に比べると驚くほど早いのですが、毎日のように集まり一緒に時間を過ごしたそうです。

「よく会っていたよ」

叔父はまた、ヤセルが高校時代、将来の正しい決断を見いだせずに苦しんでいたときの進路にも影響を与えました。ヤセルは幼少期から叔父の存在に感謝しており、叔父はヤセルが尊敬する主な男性像だったといいます。それは、ヤセルが日本で家族の面倒を見る男性としての責任感にも深く影響しました。

20歳のヤセルにとって、このような困難な状況で何がヤセルを支えていたのでしょうか?その答えは、ヤセルの宗教であるイスラム教にあります。イスラムの教えでは、忍耐こそが苦難を乗り越え、やがては実りある結果につながるものだと信じられています。忍耐は、ヤセルが人生を通して幾多の障害に遭遇したときに最も大切にしている資質なのです。

3. サッカーへの情熱

サッカーをするヤセル

「小さなボールを買って、自分たちで2つのゴールを作って放課後もプレーしていた。プロになりたい、チームに入りたいと思っていたんだ。」

サッカーはヤセルにとって、幼少期から成人期まで人生のさまざまな時期に重要な意味を持ちました。困難な時期にも情熱を注ぎ、周囲の人々とのつながりを築く方法をサッカーが教えてくれたのです。サッカーへの情熱を表現する方法に若干の変化はあったものの、ヤセルの人生にもたらした影響は計り知れません。

幼少期のサッカー

「よく学校に早く行ってサッカーをしていたよ」

シリアではサッカーは子供たちの間で人気のあるスポーツで、幼少期、ヤセルは友人たちとサッカーを楽しみました。サッカーを通じて知り合った友人たちは、後年、難民として来日したヤセルの後を追いかけてきたそうです。

シリアでのサッカー経験は、ヤセルにとって決して楽なものではありませんでした。プロのサッカー選手になることを望んでシリアで育ったヤセルは、いくつもの抑圧に直面しました。シリアでプロになるという夢は、コーチの「ヤセルはサッカーの才能があってもプロにはなれないだろう」という一言で完全に打ち砕かれてしまいました。それでもサッカーを続けたいというヤセルの情熱は消えなかったのです。

日本でのサッカー

「日本での最初の友達になったよ」

来日して数カ月経っても、ヤセルのサッカーへの情熱は消えることはありませんでした。むしろ、サッカーをする喜びを自由に表現できる環境があったからこそ、その情熱はより強くなってきたのです。来日して間もないころは、家族を守る父親的な役割を突然担ったため人生で最も大変な時期でしたが、体育館でフットサルをしている人たちを見つけて、気軽に声をかけたりしていました。日本社会には排他的な風潮があるため、見知らぬ人に声をかけるのは難しいかもしれません。けれど、ヤセルは慣れない環境で新しい人脈を作ることを恐れませんでした。冒険好きな性格とサッカーへの強い情熱の両方が、日本での新たな人脈作りの旅を導いたのです。

プロサッカー選手への挑戦

シリアで一度は打ち砕かれたプロサッカー選手への夢が、日本での生活で再びよみがえりました。日本のプロサッカー協会であるJリーグに入団するには、才能だけでなく人と人とのつながりが大切だと、夢に近づいた成功体験を語ります。Jリーグにプロとして入団することは、日本サッカー界の多くの選手にとって夢であり、将来的には海外サッカーリーグへの挑戦にもつながる登竜門なのです。

「プロになろうと一生懸命だった」

かつてプロサッカー選手を夢見たシリアの少年から、難民として日本でサッカー人生を歩むことになったヤセルにとって、Jリーグでのプレーは思い描く将来の道となりました。社交的な性格から日本での人脈も広がり、やがて生涯の夢に近づいていったのです。

プロへの道を断念

「お告げだよね」

しかし、サッカー選手への道を前向きに考えていた時期に、太ももと膝の2カ所を痛めて入院することになってしまいました。過酷な練習で足に激痛が走ることが多くなっていたのですが、重症を負ってしまったのです。プロになりたいというサッカーへの強い思いがあっても、夢をあきらめるほかありませんでした。この苦渋の決断を下したのは、先述したヤセルの人生のモットーです。「戦いがあなたがたに規定される。だがあなたがたはそれを嫌う。自分たちのために善いことを、あなたがたは嫌うかもしれない。また自分のために悪いことを、好むかもしれない。あなたがたは知らないが、アッラーは知っておられる。」ヤセルは神からのこのメッセージを良く受け止めているのです。

「神は僕にそれを望まなかった。僕にとって良いものではなかったのかもしれない。」

宗教はヤセルが経験してきた困難な時期に重要な助けとなっており、サッカー選手の夢を諦めたのは今までで最も困難な決断のひとつでしたが、最終的には神の言葉によって救われたといいます。今、ヤセルは新しい変化を受け入れることを恐れてはいません。ヤセルが思い描いていた道とは別のものに移らざるを得なかったとしても、俳優として歩んでいる現在の道は、ヤセルを純粋に奮い立たせる新たな情熱となっているのです。

日本でのサッカーコーチ

「サッカーを教えるのは本当に楽しかった」

プロになることを諦めた後、ヤセルは日本でサッカーコーチとして働く機会を得ました。ここでヤセルは、以前とは違ったサッカーに関わるという喜びを経験しました。自分がサッカーをするのではなく、子どもたちにサッカーを教える。この経験はヤセルにとって新鮮でした。自分が楽しいと思うことを他の人たち、特に子どもたちにも伝えたいという情熱を発見したのです。サッカー選手になる夢は終わりを告げましたが、これが当時のヤセルの新たな情熱であり、それを伝えるインフルエンサーとしてのヤセルのSNSでのキャラクターは今日も輝き続けています。ヤセルは純粋に子どもたちとの交流を楽しみ、同僚たちとも友情を築きました。多忙なスケジュールのため、このサッカーコーチとしての経験は3ヶ月間しか続かなかったのですが、それはヤセルが日本で経験したエキサイティングな体験のひとつになりました。

子どもたちと

ヤセルの人生におけるサッカーの重要性を示すさまざまなときを探ってみると、サッカーが与えた影響の大きさは、人とのつながりを深め、情熱的な性格を培ったことを明確に物語っています。サッカーはヤセルの人生にポジティブな光を当てました。 ヤセルは今、俳優として人生の次の章に進むことを決めましたが、サッカーはヤセルの新たな情熱を受け継ぐ資質の基礎を築いたのです。

「嫌いなことでも自分にとっては良いことかもしれないし、好きなことでも自分にとっては悪いことかもしれない。」

このイスラムの教えを人生のモットーとし、人生に3本の柱を持つことで、ヤセルは今日の地位を築いてきました。このような経験を通して、ヤセルは信仰心を持ちつつ開放的で、家庭的で、情熱的な人間になることを学んできました。宗教、家族、そして情熱という3つの要素を大切にすることで、苦難にもめげずに前向きな道を歩んでいます。