迫害の物語

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カメルーンで行われている虐殺 (BBC News Japan)

1. 影響力のあるビジネスマンから影響力のある政治家へ

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「あまり聞かなかったんだ。とても後悔してる。」

「アンバゾンの問題について、いつも自分を責めているよ。」

パトリックはカメルーン政府の政治家として働く両親を見て育ちました。父親は地元で影響力があり、有名な政治家でしたが、パトリックは政治について学んだり父親に尋ねたりすることには興味がありませんでした。そのため、父親の政治についてほとんど知りません。父親が政治に関わり、アングロフォン(英語圏)の分離主義者を助けることに情熱を注いだことが家族の死につながるとは、想像もしていなかったのです。

1.1. カメルーンの有力政治家

パトリックの両親はカメルーン人民民主連合(CPDM)の政治家でした。CPDMはカメルーンを統治する政党です。1982年以来ポール・ビヤがCPDMの党首であり、カメルーン大統領の地位にいます。党の主要言語はフランス語で、ナショナリズムとポピュリズムをイデオロギーとしています。カメルーンの経済発展は常に政府の仕事でした。パトリックの父親はカメルーンで最大規模の農場を所有し、多くの従業員を雇っていたため、地元で影響力のある人物でした。「優秀な実業家であるならば、政党に所属しなければならないのです。」とパトリックは言います。彼によれば、影響力のある実業家は人々をコントロールする力を持ち、ひいては政府にも実業家をコントロールする力を与えるからなのです。

会合に集まるCPDMのメンバーたち (Cameroon Report)

パトリックの父親は2010年に本格的に政治に関わるようになり、母親もまた、夫の後を追うようにCPDMの政治家になりました。「あるとき、母が会合で父についていくのに気づいたんです。2人は一緒に行くようになり、パーティーがあるときはときどき制服も着ているので驚きました。だから、母は父についていくに違いないと分かったんです。」とパトリックは振り返ります。彼の母親が政治に完全に関与していたわけではなかったのですが、父親は定期的に会合に出席し、国会議員の席を確保していました。カメルーン政府の政治家である父親を持ちながら、パトリックは父親から政治を学ぶことに興味を示しませんでした。今でもパトリックは政治に対する考えを持っておらず、「僕は政治家になったらすぐに死んでしまうと思うから、何も考えていないんです。」と言います。両親の政治への関わりについてのパトリックの記憶のほとんどは、それを学ぶことに興味があったというよりも、彼の観察に基づいているのです。

パトリックの父親はCPDMの政治家でしたが、党のイデオロギーを支持していたわけではありません。パトリックは 「アフリカを支配しているのは汚職です」と言います。CPDMは1997年、2004年、2011年、2018年のポール・ビヤ再選の際の不正投票や不正行為など、透明性の欠如で知られていました。汚職は政府のあらゆるレベルで蔓延しており、治安部隊の乱用や人権侵害(恣意的な逮捕、囚人に対する生命を脅かす暴力、言論・報道の自由の制限、女性や少女に対する社会的差別、人身売買、強制労働など)もありました。政府に根ざしたこのような透明性の欠如が、カメルーンのさらなる貧困と不平等を招いたのです。

「カメルーンがまだ貧しいのは汚職のせいだ」

「父の願いは、国全体のために党が崩壊することだった。」

パトリックの父親は連邦政府を望みました。カメルーン政府は中央集権的で、すべての権力が国の指導者の手に握られています。中央集権的な政府は父親のビジネスにも支障をきたし、「遠くまで行かなければならないので、父親にとっては苦痛でした」とパトリックは思い出します。父親がCPDMに反対したことは、結果的に彼の死を招く始まりに過ぎなかったのです。

1.2. アングロフォンの危機

カメルーンのアングロフォン危機は、2016年にフランコフォン(フランス語圏)側とアングロフォン側の間で始まりました。紛争の根源はカメルーンの植民地化と脱植民地化の歴史に根差していて、カメルーン人を2つの文化と言語に分裂させ、最終的にフランコフォンとアングロフォンを1つの国家に融合させました。現在カメルーン人口の約20%が英語を母国語としていて、フランス語がカメルーンで主に話されている言語となっています。

​​カメルーンの旧植民地と言語が分かる地図 (Global News Ivew)
平和的な抗議活動を行うアングロフォンの人々 (Africa Blogging)

アングロフォンの人々とフランコフォンの人々の関係は、2016年に緊張が高まるまで数十年にわたって比較的平和でした。アングロフォンが疎外され、フランコフォンの教師や裁判官がアングロフォンで任命されたことに対して、アングロフォンの教師や弁護士たちが平和的な抗議活動を行いました。彼らはこの行動を国家の「フランス語化」の着実な過程であると非難し、政府がアングロフォンの他の地域でもフランス語の使用をさらに押し付けることを恐れました。カメルーン政府は平和的な抗議行動に残忍な暴力で対応して、2016年以降北西部と南西部のアングロフォン地域で少なくとも6,000人の市民を殺害し、70万人以上の市民を避難させたのです。パトリックによれば、彼が2018年までカメルーンにいたときアングロフォンの抗議者たちは平和的で、「彼らが正当な理由のために戦っているのは分かっていた 」と断言します。

政府の過激な行動は、フランコフォン側とアングロフォン側の間の暴力と対立の激化につながりました。2017年、カメルーン北西部アングロフォン地域の地元グループがアンバゾニア連邦共和国(通称アンバゾニア)の独立を宣言しました。彼らは独立を求める派閥やカメルーン分割を争うアングロフォンの分離主義者と関係しています。アンバゾニアとカメルーンとの間は同年北西部で緊張が高まりました。10月1日にアンバゾニアが独立を宣言すると政府は治安部隊を派遣して非武装の市民を攻撃し、17人が死亡、数百人が負傷したのです。アンバゾニアは治安部隊から身を守る手段としてアンバゾニア防衛軍を創設しました。

パトリックは2018年にカメルーンを去るまで、アンバゾニアがその間暴力を振るわなかった南西地域に住んでいました。当初は民間人に対する暴力の大部分は政府軍によるものだったのですが、最近ではアンバゾニアの動機も民間人を標的にしたものと見られ、物議を醸しています。アンバゾニアは若い少年たちを招集し、中学校を中退させ、銃を持たせ、誘拐して家に押し入る訓練を始めました。「ひどい殺され方をした2人の少女の写真を見たよ。なぜ殺されたかって?彼女たちのボーイフレンドがフランコフォンだったんだ。ただそれだけ。」と、来日したあとにアンバソニア暴力的な軍の悲劇的なニュースを見たことを思い出しながらそう語ります。

「『やあ、お姉さん!』と声をかけたら、『フランコフォン?アングロフォン?』と言われたんだ。全く、本当に怖かったよ。」

アンバゾニアとカメルーン政府の緊張が高まる一方で、アングロフォンの人々とフランコフォンの人々の間の緊張も高まりました。パトリックは、会った人にどちら(アングロフォンかフランコフォンか)の出身かを尋ねることが挨拶代わりになっていることに気づきました。どちらかといえば、その人のアイデンティティによって挨拶するかどうかを考えるための質問になっているのです。フランコフォンの父とアングロフォンの母のもとで育ったパトリックはカメルーン人としてのアイデンティティを強く意識していて、政治によるアイデンティティの分断を嫌い、「フランコフォンの人間だからといって嫌いになるのはナンセンスだ」と強く主張します。

「なんで?なんであんなことをしたんだ?」

「BIRが僕たちの町にやってきて…多くの家を燃やしたんだ。」

緊急介入大隊、通称BIR(Bataillon D’intervention Rapide)はカメルーン軍の部隊で、平和的なアングロフォンの抗議活動者を殺害し、拷問した陸軍戦闘部隊の主要部隊です。アングロフォン危機の際BIRは南西部アングロフォン地域の村々に侵入し、家屋を焼き払い、市民を殺害し、遺体の首を切断しました。パトリックの村もそのひとつだったのです。パトリックが言ったようにBIRは彼らの最大の恐怖であり、今日に至るまで彼は「なぜ彼らはあんなことをしたのか?」と自問しています。

2. 終焉の時

2.1. アングロフォンの分離主義者を支援するフランコフォン

「父は自分は大丈夫だって確信していた」

「命の危険について父は気にしていなかった。それが父が犯した間違いだと思う。」

アングロフォンの危機が2016年にエスカレートし始めたとき、パトリックはアングロフォンの地域にあった自分のビジネスを閉鎖せざるを得ませんでした。人々がフランコフォンの軍隊に殺され、多くの人が逃げ惑う場所だったからです。廃業後、パトリックは父親の農場を監督する仕事を手伝いました。父親はカメルーン政府で働く政治家で、アングロフォンの分離主義者を支援し始めました。彼は自分の農場から卵やバナナを配達し、その代金の半分を受け取っていました。

パトリックの父親は、ビジネスと政治的な理由から分離主義者を支持しました。アングロフォンが権力を握れば、アングロフォンの地域からフランコフォンの地域へ商品を運ぶのに苦労していたパトリックのビジネスを助けてくれると信じていたのです。「アングロフォンが戦っているのにはそれなりの理由があることを父は知っていた。」とパトリックは言います。また、父親は影響力のある政治家であり、結果的に彼らの権利獲得に貢献できるのだから、自分が分離主義者を支援することで彼らに大きな励ましと力を与えることができると信じていたと言います。フランコフォンの政治家としてアングロフォンの分離主義者を支援することは大きなリスクを伴うことを父親は分かっていましたが、それでも彼らを支援することを選んだのです。パトリックは最初そのことで頭がいっぱいになり「自分のしていることに確信があるのか」と尋ねると、父親は「落ち着け、どうすればうまくいくかはわかっている」と答えたそうです。それ以来パトリックは父親の言葉を信じ、支え続けました。

パトリックの父親が分離主義者に食糧を供給し始めて間もなく、政府当局は父親がアングロフォンの分離主義者を支援しているのではないかと疑い始めました。彼は当局から殺害予告を受けたのですが、実行に移されるとは思っていませんでした。パトリックは心配しましたが、分離主義者を助けるという父の目的を信じ続けました。

2.2. 生か死か

「父は僕を押さえて説明し始めた」

2018年、パトリックの父親は彼と弟に、カメルーンの南西部に位置するレビアレムにいる分離主義者たちに農場から食糧を届けるのを手伝ってほしいと頼みました。当初、パトリックはこの配達が自分の命を危険にさらすことになるとは知リませんでした。「すでに関わっていたから父は僕のことを信頼してたし、報告をまとめて渡すと父の理解にもつながっていたんだ。」と父の手伝いに賛成的であったことを話します。しかし父親が配達について警告し始めたとき、パトリックは分離主義者を助けることが大きなリスクであることに気づいたのです。食糧配達の手伝いを続けたくなかったし、自分では配達しない言い訳まで作ったのですが、分離主義者を助けることが公平であることを理解していたので、父の言葉を信じて手伝いを続けました。

「つい昨日のように覚えてるよ」

ある日パトリックが弟と一緒に分離主義者たちに食糧を配達していたとき警察に尾行されていて、トラックを降りると銃を突きつけられました。アングロフォンの分離主義者たちはパトリックがフランコフォンの警察と一緒に自分たちの地域に来たと思ったのですが、尾行されているとは知らなかったのです。アングロフォンの分離主義者も警察も発砲を始めたのですが、幸いパトリックと弟は警察に助けられてなんとか森に逃げ込み、無事に家に帰り着きました。

「ちょっとした戦争みたいだったよ。助かって本当に良かった。」

「銃撃が聞こえてきたとき…終焉がきたと思ったよ。」

パトリックと彼の弟は自分達が殺されそうになった事件の後、食糧の配達を手伝うのをやめました。「その仕事は辞めたよ。その日が終わりだった。」と振り返ります。パトリックの父親も分離主義者への食糧供給をやめましたが、彼らを見限ったわけではなく、他の支援方法を探し続けました。しかしカメルーン軍によって父親の命が絶たれたのは、それから間もなくのことだったのです。

3. 歩く死人

3.1. 家族の迫害

「とにかくすぐ逃げたよ」

「時間を無駄にしなくて良かった。追われてたからね。」

2018年9月12日の夜、パトリックが自宅にいると親友のフランクリンから電話がかかってきました。「お前の家族はみんな殺された。」と。パトリックは「冗談か何かだろう?」と聞くと、「おまえの家は今燃えているんだぞ。自分の命が惜しければとにかく早く逃げろ」と答えたと言います。パトリックはすぐに森の中へと逃げました。走っていると軍隊の男たちが彼を見つけ、追いかけ始めたと言います。「東京のようにどこにでも明かりがあるところとは違って暗かったから、捕まえることはできなかったんだ。」と話すパトリックは彼らから無事逃げ切り、森に隠れました。

「友達から俺の家族全員が殺されたと聞いた」

3.2. 森の中での生存

「なんで逃げたりしたんだ」
「僕の家族は犯罪者でもないのに」

翌朝パトリックはフランクリンに電話をかけ、何が起こったのか尋ねました。自分の家族がたった一日でいなくなってしまったことが信じられなくて、心の一部では家族がまだ生きているかもしれないと思っていたのです。「もし家族が亡くなっている確信があったならそこで立ち止まっていたでしょうけど、はっきりとはわからなかったので」と、彼は軍隊から逃げていた瞬間を思い出します。家族全員が殺された後でも、パトリックは政治や父親とアンバゾニアや軍隊との関わりを責めることはなく、「僕が責めたのは神だけ」だったそうです。腐敗した政治体制の中育ったパトリックは「今でも彼らを責めてはいない」と話します。

「とにかく考えてたのは自殺の方法が分からないってことだった」
「今君たちと話してるパトリックじゃなかった」

パトリックは2週間近く森に隠れていました。最初の3日間は、水も食料もない森の中で生き延びたのです。携帯電話のバッテリーもなく、外の世界と完全に遮断されていました。「人生で初めて自殺を考えたよ。」と彼は振り返ります。軍隊が自分を探していることを知っていたので、彼らを導いて自分の人生を終わらせようと、森を出ることを数え切れないほど考えました。「もしかしたら拷問にかけられるかもしれないとも思ったし、怖かった。」とパトリックは言います。もし軍隊が自分を撃つだけだと確信していたら、彼は「ただ俺を撃ってこの章を終わらせてくれ」としたことでしょう。

「動いていたけど、死んだ人間だった。」

何日も森を歩き回って、ついにパトリックはカメルーンの南西部に位置するクンバという村にたどり着きました。ありがたいことに、村の親切な女性が食べ物を差し入れてくれて、パトリックが友人のフランクリンと連絡を取れるように携帯電話の充電を手伝ってくれました。「アフリカでは日本とは違うんです。日本でドアをノックして『お願い、助けて。充電させてください。』と言ったらすぐに警察を呼ばれるでしょう。」と言います。その時、パトリックは何も考えられなくなっていて、「風に吹かれるように動いているだけだったんだ。」と思い出してくれました。